日航よど号ハイジャック事件を伝える万国博覧会電送版の朝日新聞。国連館に掲示された (c)朝日新聞社
日航よど号ハイジャック事件を伝える万国博覧会電送版の朝日新聞。国連館に掲示された (c)朝日新聞社

 機内の制圧者たちは、石田真二機長に、「北朝鮮のピョンヤンまで行け」と命じた。そのあとで、乗客にむかって演説をくり返し、ときに冗談までまじえて、手品師のように乗客の心理をなだめていった。

 演説をくり返したのは、田宮高麿であった。彼の演説は、出発宣言の反復であったが、それに疲れると、乗客に宣誓するかのように、

「世界のプロレタリアートのために最後までがんばりたい。みなさんには迷惑をかけたが、それも日本を愛するゆえの行動と理解してほしい。……われわれは、北朝鮮を足場にして北ベトナム、キューバにも足を伸ばし、世界平和のために闘う」

 と叫んだ。その口調は、一語の切れ目をひきのばす、あの学生運動特有のものだったが、表情はやわらかかったと、のちに解放された乗客が証言している。

「よど号」は、田宮の指示で福岡空港で給油したが、このとき、病人や婦人、老人、子ども23人を釈放した。そのあと北朝鮮にむかって午後1時59分、福岡空港を離陸した。しかし、日本政府は韓国政府と連絡をとり、金浦空港をピョンヤン空港に擬装することにした。日本政府にも韓国政府にも、政治的な計算が働いていて、とにかく北朝鮮に送りこみたくはなかったのだ。

 しかし、擬装は、田宮によって見破られた。それから三昼夜、金山政英駐韓大使、橋本登美三郎運輸相が、金浦空港の管制塔から田宮にむかって、北朝鮮行きを思いとどまるよう説得したが、田宮は終始ピョンヤンに行けとくり返した。かけひきは終わり、乗客とスチュワーデスを降ろして、運輸政務次官の山村新治郎が身がわりになり、4月3日午後6時4分、「よど号」はピョンヤンにむかった。

 戦後の全学連を中心とする学生運動は、日本共産党の指導下にあった。

 しかし、共産党が、それまでの極左冒険主義を自己批判した6全協(日本共産党第6回協議会、昭和30年)をめぐって、全学連の内部に亀裂が生じた。

 昭和33年、共産党の指導に反撥するグループが、党を除名され、共産主義者同盟(ブント)を結成した。また、社会主義学生同盟(社学同)が、トロツキズムに基づいた運動をすすめるようになる。さらに、革命的共産主義者同盟(革共同)の指導をうけた学生グループも活動をつづけていた。

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共産主義者同盟赤軍派の誕生