一太はがんを患いながら、そのうえで子どもをつくろうとしている。繊細なテーマゆえに、執筆中は不安や悩みから解放されることはなかった。
書くことから逃げ出したくなるようなシーンもあった。それでも、逃げずに向き合った。「自分がエンターテインメントにすることで、傷つく人がいるかもしれない」という思いがあったからだ。
鈴木さんの“本気”が充満する、印象的なシーンがある。一太の睾丸を包む膜をメスで開き、医師が精子を見つけだそうとするシーンだ。そうした一見小さな行為から生命が誕生することのすごさを知ってほしいという鈴木さんの姿勢は、作中に登場するベテラン医師の言葉にも滲(にじ)む。
「また僕がトリッキーなことを題材にしている、と思われても、世の中がちょっとざわつくきっかけになったらいいな、と本気で思っています」
近年はドラマや舞台の脚本も手がける。多忙を極めてまで「小説」に挑むのはなぜか。
「文字だけで表現するって、とてつもないことだと思うんです」と鈴木さんは言う。
「でも、挑戦してみたいし、そこでしか表現できないことがきっとある。例えば、小説で描いた、精子を探し出すシーンをそのまま映像にしても、文字で書いたものと同じにはならないと思うんですよね。すべてを文字だけで表現するって、エンターテインメントの中で一番難易度が高い。そう僕は思っています」
(ライター・古谷ゆう子)
※AERA 2021年10月18日号