多くの山城では、山頂付近に曲輪が集中するが、鳥取城の曲輪は山頂から麓にかけて配置されている。そのため、山頂一帯の山上ノ丸と山麓一帯の山下ノ丸という2元構造なっていた。
山上ノ丸は、麓からの高さが240mほどの久松山山頂に築かれている。天守が建てられていた本丸のほか、二ノ丸・三ノ丸といった主郭部が連郭式に連なる。さらに、この主郭部は出丸によって防御されていた。
山下ノ丸は、久松山の山麓におかれ、幅25mほどの内堀によって守られていた。実質的な本丸に相当するのが天球丸で、このほか二ノ丸・三ノ丸などが階段状に配置されている。 山上ノ丸と山下ノ丸との間にも、無数の曲輪が設けられ、さらには斜面の移動を阻む竪堀や登石垣も構築されている。山下の丸を落とさない限り、敵は山上ノ丸に攻め込むことはできなかった。こうした点も踏まえ、防御力は満点とした。
ただ、山上ノ丸は防御力が高いものの、政庁としては利用しにくい。一方、山下ノ丸は政庁としては利用しやすいが、防御力は低い。しかし、鳥取城では山上ノ丸と山下ノ丸が一体化しており、それぞれの長所を生かすことができた。鳥取城は、戦国時代から江戸時代にかけて、最先端の技術を取り入れながら改修されている。時代による石垣の積み方の違いも、この城の見どころのひとつである。 江戸時代に、山上ノ丸が重要視されることはなくなった。しかし、有事の際には、利用するつもりだったのである。
◎監修・文/小和田泰経(おわだ・やすつね)1972年、東京都生まれ。歴史研究家。國學院大學大学院文学研究科博士課程後期退学。専門は日本中世史。著書に『家康と茶屋四郎次郎』(静岡新聞社)、『戦国合戦史事典 存亡を懸けた戦国864の戦い』(新紀元社)など。
※週刊朝日ムック『歴史道 Vol.17』では、戦国最強の山城「ベスト50」を徹底解説しています