樹齢1000年を超える屋久杉の島の、ほんのちょっと離れた島ではあの金属の塊が宇宙に向けて飛んでいった。
「それを見たとき、(あまりにも違いすぎる)と思った。これだけ違うことが起きるということは、日本列島に点在する離島をめぐったらすごいことと出合えるんじゃないか、と気がついた。(これは、めっちゃ、ええやん)と思って、そこからぼくの離島の旅が始まった」
日本の有人離島の数は約420。これまで北海道・礼文島から沖縄県・与那国島まで、「70~80島」を訪ねた。
「日本は広いですよ。やっぱり、島ごとにぜんぜん違いますから」
瀬戸内の島々のように、都会が身近にある島もあれば、絶海の孤島もある。
「ちょっと海が荒れたら船が着かないとか、どう考えても不便な場所もあるんですよ。それで、島の人に『なんでここに暮らしているんですか』と、聞いちゃうんです」
すると、「東京とか、いろいろなところに出たことがあるけれど、自分の先祖や家族の墓があるし、そもそも自分はここで生まれ育った。まあ、ここがいいと思ったから暮らしているんだよ」、みたいなことを言われた。
そんな島の暮らしに、憧れも含めて、共感を覚えた。「ここに人が、こうやって暮している」。そんな風景をカメラに収めた。
■写真学校の先生を続けるか
転機が訪れたのは06年。河瀬直美監督の映画「殯(もがり)の森」の制作で、スチル撮影を担当した。
1カ月半ほど、実家のある奈良県の現場を写したとき、「河瀬さんは奈良にいながら世界に発信しているんだ」と思った。
「東京でなくても写真はやっていけるんじゃないか、という衝動に駆られた。それで、東京から離れるか、と思った。奈良に戻ることを意識した」
撮影の拠点を奈良に移したのは09年。結婚し、子どもが生まれた。専門学校、大阪ビジュアルアーツの講師を務めながら県内を訪ね、撮影した。
「奈良市内も撮ったんですけど、どうもピンとこなくて。手応えがないんですよ。それで、昔、吉野とかよく行ったな、と思い出して、撮影したら、(ああ、いいかも)、と思った」
吉野からさらに奥へ。奈良県南部、和歌山や三重との県境に近い場所まで足をのばした。