あるコンサートで、暴走族が集まったんです。アニキは、そういう人たちにも人気がありましたから。で、会場で騒ぎまくって、松田優作の歌を聞きに来てた他のお客さんの迷惑になってたんです。そしたら舞台の上から観客席の暴走族たちに「てめーら、この野郎! おとなしくできねーのか。黙ってろ」。見事に静かになりました。その暴走族たち、コンサートが終わったあと、出待ちのところで整列してました。本気で怒るから、向こうにも、その本気が伝わるんです。
彼らにとっても憧れになっちゃってたというか、別のとき、アニキが渋谷でファンに取り囲まれて歩けなくなっちゃってたら、バッと人を分けて「どうぞ」ってやってくれたのも暴走族たちでした。
男にも女にも惚れられた人でしたね。
「ブラック・レイン」に出られたことはうれしかったと思います。アニキは日本という枠から外れちゃってましたから。昔から大陸願望が強くて、大陸に行って勝負したい、って気持ちが強かったと思います。ブラックレインが最後になってるのが惜しい。次の作品までやって欲しかった。デニーロと共演の話があったようですからね。大好きな俳優さんがデニーロで、いつかデニーロ共演するって気持ちを持ってたと思いますし。
僕と、本公演のプロデューサーである西田聖志郎くんとで作った四月館という劇団がありまして、それを解散するとき、アニキに言われたんです。
「お前、今、一番やりたいものは何だ?」と。
「『真夜中に挽歌』を、僕の手で再演したい」って言ったんです。そしたらアニキが「やめろ。恥ずかしいから」というので止めて、それを題材にして作ったのが『マオモ』という作品で、それが四月館の最後の上演になりました。
その後、僕は義父の会社を引き継ぐために役者を辞めました。アニキが亡くなる年です。で、アニキの七回忌が近付いてきたころ、《芝居やりたいな、『真夜中に挽歌』を》と思ったんですが、義父の会社の経営が傾いてそれどころじゃなくなって、結果、会社は潰れ、保証人になってたので借金を負い、芝居どころじゃなくなって、その状態が20年以上続いてました。