
半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。
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◆横尾忠則「早くやることは遊びの復権である」

セトウチさん
もう五十年も前になるけれど、どこかの市役所に「すぐやる課」が設置されたという新聞記事を見た。
なんでもすぐやらないで、放っといてそのうち忘れてしまうことが多かった。そんなわけだから人に頼まれたり、手紙を貰ったり、贈答品を貰っても返事もお礼状も書かないで、ずぼらをため込んでいた時期が長い間あった。そのことと関係あるのか、いつの頃からかストレスに悩むことが多くなった。ところがそのストレスの原因が全くわからない。
そんな時、前述の「すぐやる課」のことを思い出して、自分も真似を(まね)してみようと思った。原稿の〆切を延ばし続けていると催促の電話が編集者やクライアントからうるさく掛かる。〆切が何度か過ぎて、やっとこさ腰を上げるのだが、このこと自体が大きいストレスになる。因果な商売を選んだもんだと思うけれど、「しゃーない」と諦めて何十年もこの習慣が、そのまま自分の性格になってしまっていた。これは危機的状況だ。こんなことをしていると死んでしまう。
そこで、原稿は〆切前というか依頼と同時に取りかかる。手紙やメールは即返事を書く。そんな風にやらなきゃいけないことをためないで、どんどん消化していく。そんな習慣がいつの間にかできて、今度は早くやることが面白くなってきた。
こんなことがあった。女性誌からエッセイの依頼に女性の編集長が来訪された。テーマについて話を聞いている間に、頭の中で構想ができてしまった。〆切は4週間先だ。そこで編集長が社に帰られた。「それ!」とばかり、エッセイを書き始めた。30分もしない内に書けた。まだ編集長は社に戻ったか戻らない時間だ。書けた原稿をFAXですぐ送信した。間もなくして編集長から、スットンキョーな声で電話があった。「社に帰ったら、私のデスクに、先っきお願いした原稿が置いてあるじゃないですか、これって一体何なんでしょう。ああ、びっくりしました」