撮影:村上賀子
撮影:村上賀子

■「誰かに向けて表現していない自分」を発見

 気持ちが落ち着いた翌年、新たな作品づくりを考えたとき、見直したのがこの写真だった。

「窓の薄明かりしかなくて、めちゃくちゃ逆光で、顔とかはシルエットになって、ぜんぜん見えない。でも、なんとなく私っぽい。そんな写真を見たときに、すごく不思議な感じがした。それは、誰かに向けて自分を表現していない、見られるために撮った写真じゃない感じがした」

 それは、「ちょっとした発見」だった。

「それで、こういう感じでもうちょっと自分のことを撮ってみようと思って」、何枚か撮影するうちに、「他人のそれを見たいな、と思ったんです。みんな、一人で家にいるとき、どんなふうにしているんだろう? どんなふうに見えるんだろう? と」

 同世代の女友だちにお願いして、撮影した。それが、この作品の土台となった。

「そのときの大きな選択が、被写体を男の人に広げるか? それとも、女の人だけでやるか? だったんです」。村上さんは語気を強める。

 同様な状況に男が置かれても「そこには性差があるんだろうな、と思った」。

 そのよりどころとなったのが、「学生時代に愛読していたジョン・バージャー」。

 そう言って、村上さんは文庫本を取り出し、見せてくれる。

『イメージ―視覚とメディア』(筑摩書房。原書は1972年出版の『WAYS OF SEEING』)はイギリスの批評家、バージャーが書いた美術界の名著だ。

「このなかに、女性というのは、見られる自分を意識して見られる。見られるから女性は社会的に存在になる、ということが書かれているんです」

撮影:村上賀子
撮影:村上賀子

■彼のことはよくわからなかった

<男は行動し、女は見られる。男は女を見る。女は見られている自分自身を見る>

 村上さんは「この言葉がずっと引っかかっていた。私は女だから、すごくわかる、と思った」。

 一方、「男の人はそうじゃないんだ、と思って、すごくショックを受けた。それじゃあ、私の作品づくりで、男の人って、扱えないじゃん、って、思った」。

 その時点で、村上さんの手元には女性を写した写真が何枚かあった。「女の人が見られるものとして、写真の中に存在していた。でも、男性はそういうものとして存在していない。自分が共感したいものを表現したいはずなのに、そこに男の人を入れちゃったら、それはもう、何の作品だったのか、分からなくなっちゃう」

 さらに、こう続けた。

「それに、男の人を入れたら、それは『三人称単数』、なんですね。つまり『彼』。すごく距離があるじゃないですか。私から、彼って」

 村上さんは「私、彼のことはよくわからなかったんですよ」と、つぶやく。

「何人も女の人を撮ったんですけど、その写真をずっと見ていると、なんかすごく共有されているものがあると感じた。私も彼女たちといっしょだし、彼女たちも私といっしょ。そういう感覚。最初はセルフポートレートの私、『一人称単数』から始まったんですけど、それが、私たち、『一人称複数』になるな、と思った」

 村上さんはこの作品について「あまりハッピーな感じではないかもしれない」と言う。

「でも、私としては、いまを生きるすべての人へエンパワーメント(=力を与える)というか、そういうポジティブな気持ちでつくっているところがすごくあるんです」

アサヒカメラ 米倉昭仁)

【MEMO】村上賀子写真展「Known Unknown」
ニコンプラザ東京 ニコンサロン 11月9日~11月22日

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