「女性って、やっぱり、家庭にいるもの、という考え方が……。私は1986年生まれで、30歳半ばなんですけれど、最近は、昔とは状況がぜんぜん変わってきていると思う半面、自分を育ててくれた世代は、前の時代の価値観に生きている。そんななかで暮らしてきたから、彼らの価値観がすごく自分に内面化されている。そう思うことが非常にあるんです」
自分とは相いれない価値観。けれど、「なんか、それを突き放せないところがあって」。
「自分もそうだし、まわりの女の人を見ていてもそう。そんな葛藤みたいなものを感じている世代かな、と思うんです。女の人が家にいるのはすごく示唆的、というのはそういう意味です」
しかし、それが今回の写真展のすべての意図ではないという。
「この作品って、セルフポートレートから始まったんです。最初はもっとパーソナルな作品だった」
■計画停電下で写した自分
撮影のきっかけは2011年の東日本大震災。
当時、村上さんは武蔵野美術大学の大学院生で、実家は仙台市にあった。
「そのとき、私の生活の基盤は東京にあったんですけれど、当然、家族や友だちは仙台にたくさんいて、すごく困難な時間を過ごしたんです。私にとって、自分と仙台とのつながり、というのは周囲の人とは共感し合えないものだったから、すごく特別な苦悩のように思えた」
さらに、写真をやっている人間として、写真で震災と向き合わなければいけない、という気持ちがあった。
「何か撮らなきゃ、と。でも、外に向かう準備はできていなかった。打ちひしがれすぎていて、ファインダーで外を見る勇気がないような、どう向き合っていいか、わからない状態。それで、その場でできたアクションというのがセルフポートレートだった」
自分の人生のなかでただ事ではないことが起こっている。そう、感じる自分を客観視する自分がいた。
「作品になる、ならないかは別にとして、少なくとも自分にとって意味のあることだから、自分を撮っておこう、と思ったんです。たぶん、ドキュメント的な意味もあったと思う」
村上さんが住んでいた地域では計画停電が実施され、日が当たらない村上さんの部屋は昼間でも暗くなった。電気もテレビもつかない部屋の中で、窓辺に寄り添うように本を読んだ。
「そんな自分の様子を3、4メートルの長いレリーズ(シャッターを切る道具)を使って撮影した」