グリエルは来日前からキューバ球界の至宝と呼ばれたエリート選手だった。IBAFワールドカップ代表2回(03年、05年)、五輪代表2回(04年アテネ、08年北京)、ワールド・ベースボール・クラシック代表3回(06年、09年、13年)、WBSCプレミア12代表(15年)と多くの大会で代表チームの一員として活躍した。

 また強肩を生かした内野守備の評価も高い。日本時代は前述のとおり出場した試合も少なく、その実力を遺憾なく発揮とはいかなかったが、今年はメジャーで一塁手としてゴールドグラブ賞を獲得したほどの守備力もある。

「かつてのキューバ球界では中日でもプレーしたオマール・リナレス(現中日巡回コーチ)、オレステス・キンデラン、アントニオ・パチェコなどが伝説的存在だった。彼らはMLB、NPBから毎年のように誘いがあったが海外移籍は叶わなかった。その後、亡命やキューバ政府が認めた正規ルートなどでメジャーに挑戦する選手も増えたが、その中でもグリエルへのトータル評価は極めて高かった(グリエルは16年のカリビアンシリーズ出場時に亡命)」(MLBアジア地区担当スカウト)

 リナレス、キンデラン、パチェコらが活躍した90年代は国際試合での金属バット使用が許可されていた。打撃重視のチームがほとんどでキューバ代表は特にそれが顕著だった。98年から国際大会へのプロ参加が許され木製バット使用されるようになると各国野球のスタイルと同じく、キューバ野球も変わらざるを得なくなった。打撃だけでなく守備、走塁も必要とされ、すべてを兼ね備えたグリエルは重宝された。

「打撃だけでなく守備や走塁レベルもチームトップクラス。ハンドリングが柔らかく肩も強い。あのままDeNAに残ってプレーしていたらゴールデングラブ賞を獲得できた可能性もあった。もちろん足も速かった。強打を誇り内野守備もトップクラスの外国人選手は過去にも多くはない。DeNA、いや日本球界史上最高の助っ人内野手だったかもしれない」(元DeNA担当記者)

次のページ
日本でプレー続けたら最強助っ人に?