インスタリムが開発した義足。一人一人の切断面にフィットし、切断箇所に応じて長さも変えられる(写真=写真部・東川哲也)
インスタリムが開発した義足。一人一人の切断面にフィットし、切断箇所に応じて長さも変えられる(写真=写真部・東川哲也)

「こんなバカなことがあっていいのか」

 それを知った時、徳島を襲ったのは憐憫(れんびん)や同情ではなく、強烈な怒りだった。義足さえ手に入れば元の生活に戻れるのに。日本でも糖尿病患者は食事制限などで大変な思いをするが、壊疽から命を落とすことはまずない。先進国と途上国でこんな差があっていいのか。「いいはずがない」と徳島は思った。

起業家の父に憧れて

 怒りの次に徳島の頭に浮かんだのは、こんな考えだった。

「自分ならもっと安く義足が作れる。ひょっとして今までの自分の人生は、この問題を解決するためにあったんじゃないか」

 徳島の父親は起業家だった。関西の大手電機メーカーを脱サラし、パソコンのディスプレーなどに使われる放電管電源のベンチャーを立ち上げた。部品は三菱電機が発売した当時最薄のノート型パソコンに採用され、専門紙の1面トップに記事が出たこともある。徳島はそんな父親をかっこいいと思っていた。

 ところが徳島が大学生の時、父が若年性アルツハイマーを発症。徳島が会社を手伝うようになった。そして25歳の時、「どうせやるなら自分の会社で」と、ウェブシステムとハードウェアを開発する会社を立ち上げた。

「製品デザインの知識が足りない」と感じた徳島は、多摩美術大学で工業デザインを学ぶ。その後、工業デザイナーとして大手医療機器メーカーに就職。34歳の時、「途上国で医療関連の仕事がしたい」と一念発起して青年海外協力隊に加わった。(敬称略)(ジャーナリスト・大西康之)

AERA 2021年11月22日号より抜粋