(c)たらちねジョン(秋田書店)2021
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「命がなくなるのを知った、初めての経験だったんです。だから母や姉、兄の様子を見ながら空気を読んでいました」

 母は涙を見せなかった。気丈に振る舞い、すぐに保育の仕事を見つけて働きはじめた。そのおかげもあり、一家は悲観し続けることなく、子ども3人も元気に育っていった。

 だが時には「父がいてくれたら」と思うことも。

 姉や兄と大げんかをした母が泣きながら家を出ていこうとした時は、小学4年だったたらちねさんが必死に止めた。思春期になり、今度はたらちねさんと母がつまらないことで言い争うと、学校の先生が間に入り三者面談が開かれた。

「クッションになってくれるはずの父がいないから、当時の母は逃げ出したり、家の外の人に助けを求めたりするしかなかったのかなと思います」

 数年前、母と当時の思い出話をしていた時。母が「あの頃、親戚から『かわいそうに』って言われるのがすごく嫌だった」と漏らした。たらちねさんは、母の心中を察する。

「父がいなくたって楽しい時はあるのに、勝手に足かせをはめられて、キャラクターづけされる。それは、私も嫌でした」

 もちろん苦労はあっただろうが、実際、母はまったく「かわいそう」ではなかった。ヒップホップダンスや水泳、漢方など、興味のある習い事には片っ端からチャレンジしてきた。

 海外旅行も大好き。「オーロラを見たい」と、小学6年のたらちねさんを連れ、1週間カナダを旅したこともあった。

 母が「異常なやる気」とも言えるバイタリティーを身につけたのは、父の死が一つのきっかけだったと感じている。

「父が亡くなってから、母宛ての年賀状が半分以下になったんです。友人の多くが、自分を『大学教授である父の妻』として見ていたことに気がついた母は、すごくメラメラしたそうで。『自分自身の価値をアピールしたい!』って元気が出たんだと思います」

 自分の心の声に忠実で、人生を思いっきり楽しむ。そんな母の姿は、娘が描く「うみ子」の生き方にも重なる。

「母をモチーフにしたわけではないです。でも漫画は作者の潜在意識が出るもの。私の経験や価値観が作用したのかもしれません。母は照れ隠しもあってか、『全然私に似てないじゃん』って言ってました」

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