写真家・染谷學さんの作品展「六の舟」が11月29日から東京・新宿のギャラリー蒼穹舎で開催される(大阪は1月11日~1月23日)。染谷さんに聞いた。
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染谷さんが写したのは北海道小樽市の忍路(おしょろ)から長崎県雲仙市の小浜まで、心にしみる海辺の町の風景。
「なんか、ちょっと錆びちゃって、頑張るのを諦めちゃっているような空気感。そういうものに心引かれるんです」
以前、月刊誌「論座」(朝日新聞社)の連載で温泉地を巡り、撮影した写真をまとめた「温泉の町」(2008年)を発表したが、それと似たような感じという。
「人の享楽を受け入れて、一時期にぎわったけれど、もう、頑張れなくなってしまった、化粧が剥がれた飲み屋のママみたいな雰囲気。そんな温泉の町に引かれた。この海辺の町シリーズもそれにちかい」
■ゲリラを追ってデビュー
海辺の町シリーズは15年から3年おきに発表してきた作品で、「艪(ろ)」「ほうたれ」、そして今回の「六の舟」へと続く。
「なんか、老人みたいな言い方になっちゃいますけれど(笑)、ただ、どこかに行って、ゆっくりと自分のペースで写真を撮りたい。海辺の町で、おいしいお魚を食べて、お酒を飲んで、旅をしながら心に引っかかった風景を撮っていこう、みたいな感じでやってきました」
さらに、こうも言う。
「写真が、何かを説明するための写真にならないようにするにはどうしたらいいだろう、と。まあそれで、この10年ぐらいやってきた。そんな感じですかねえ」
ひょうひょうと語る染谷さんの姿と、穏やかな時間の流れるような内容の作品が重なった。
しかし、1987年に日大写真学科を卒業し、デビューしたころの染谷さんはバリバリのフォトジャーナリストだった。
タイ国境の川を渡り、ビルマ(現ミャンマー)の少数民族、カレン族の支配地域に潜入。ビルマ軍と戦う彼らの姿を追った。
「カレン族ゲリラの中枢、マナプロウに滞在して、兵士や、その家族を撮っていました。戦闘にも足を踏み入れた。ただ、95年にビルマ軍の大きな攻撃を受けて、写真を撮りに行っていた本拠地がすべて焼き払われてしまった。みんな散り散りになって、もう撮影に行ける感じではなくなってしまった」
同じ年、「生きてゆくカレンの人々」をニコンサロンで発表。「それで、自分としてはひと区切り、という感じでしたね」