「たとえば京大『落ち』ではなく京大に『挑戦した』と言葉を変えてみる。同じ受験失敗という結果でも『挑戦』という言葉なら、自身の思いや行動を前へ進めることもできるし、SNSでそれを見た次世代の受験生も『挑戦した先輩がいたんだ』とポジティブに感じ取り、いい循環につながると思うんです」

 前出の矢野さんは、私立中学の生徒たちの間でも、「○○落ち」について話されることがよくあると言う。次世代へのネガティブな循環なのだろうか。

「受験を経て入学した私立中学1年生の頃、生徒の間で話題になるのが、『本当はどこの中学に行きたかったの?』ということ。ただそれは『ほんとは桜蔭に行きたかったんだ』『へーそうなんだー』と無邪気なもので、『○○落ち』というフレーズが使われるわけでもなく、大学生のような根の深さは感じません」

自分下げしつつ自慢

 新しい学校に入学して、出会う同級生との初コミュニケーション。心理カウンセラーの小日向るり子さん(50)は、私立中学の生徒と同様、大学生にとっても、「○○落ち」は相手との共通項を見つけて「つながる」ための、きっかけ作りに使われているのでは、と見る。

「たとえば明治大学で出会う相手は、おそらく他の六大学など似たような大学を受けた者同士の可能性が高い。『早稲田落ち』『あ、おれも!』となりやすいからというポジティブな側面はあるでしょうね」

 加えて「○○落ち」の背景として、若い世代の「自己アピールを強く重要視する傾向」があるのでは、と分析する。

「ユーチューバーや、インスタライブで同世代の人たちがとても上手に自己アピールする姿を日常的に見ている彼らは、たとえ炎上してディスられても、多少悪目立ちであろうとも『個をアピールしたもん勝ち』、みたいな価値観が意識の中に根づいている。いかに自分を強く印象づけるか、もう本能的に動いちゃう。そんな気さえします」

 単に「日大芸術学部です」と自己紹介するよりも、「2点差で慶応落ちの日芸です」などと付けた方が、印象づけとしては強い。「それほど学力もあったと自慢したいのか」と反発を買うリスクはあるが、何はさておき自己アピール。それにこの「○○落ち」という自虐ニュアンスの言い回し、実はとても「巧妙」だと小日向さんは言う。

「たとえ自慢と思われても、強くアピールしたい。でも親世代から受け継いだ日本独特の『謙遜を美徳とする文化』も完全には捨てきれない。『○○落ち』は、いったん謙遜しつつ、つまり『自分下げをしつつも、自慢する』という、ひじょうに複雑な心模様を映し出している自己アピールなのかもしれません」

(編集部・小長光哲郎)

AERA 2021年11月29日号より抜粋

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小長光哲郎

小長光哲郎

ライター/AERA編集部 1966年、福岡県北九州市生まれ。月刊誌などの編集者を経て、2019年よりAERA編集部

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