■ひふみを投資信託業界の「ポッキー」に
藤野さんは運用業界の変革に関しても、訴えた。
「いいものをできるだけ安く提供し、長く持ってもらうのがどの商売でも一般的です。でも対面営業型の投信は、スーツ姿のおじさんが人間関係と信用で高い手数料を取り、住宅や美術品を扱うように販売されています。理想の投信はグリコの『ポッキー』ですよ。誰でも知っていて、どこでも買えて、一定の高品質。要するにおいしい。ポッキーを目指します」
取材日は猛暑だったが、気温と同じくらいアツく語る。若い頃から熱血漢だったのだろうか。
■勉強ができる人が偉いと思ったら違った
「大学はギリギリで単位を取って卒業しました。検察官志望でしたが、在学中の司法試験合格はかなわず、腰かけのつもりで運用会社に就職しました」
早稲田大学法学部出身。
「実は第一志望ではなかったので落胆し、前半2年は家にこもってピアノを弾いていました。『弾きこもり』ですね(笑)。その後、『日中学生会議』での2つの出会いが人生を大きく変えました」
一つは学生のF君。日中学生会議に参加してすぐ「渡航費用を稼ぐため営業に行け」と言われた。
「企業を回って協賛金のお願いをするわけですが、簡単にお金は出してくれません。途方にくれていましたが、F君が年300万円を10年間という支援を財団から取り付けました。彼のおかげで10年の活動が保証された。勉強のできる人が偉いと思っていましたが、自分の魅力を感じてもらい、売り上げや出資を伸ばす力が社会人として最も重要なんだと思った」
二人目は訪中先で1時間半ほど会った、数学専攻の大学教授。数学オリンピックでメダルを取った俊才だが、「知識人狩り」の嵐が吹いた文化大革命の頃、辺境の新疆(しんきょう)ウイグル自治区に連行され、強制労働を強いられた経験があると聞いた。受験の失敗で腐っていた自分を小さく感じた。
「教授は、つらい思いをしたのに笑顔を絶やさない。聞けば、『当たり前だ。君が日本から来てくれているんだから』と。衝撃的でした。あなたがいるから僕は幸せと言える人って最高ですよね」