田中角栄(たなか・かくえい)/1918年、新潟県生まれ。47年に新潟3区から出馬、初当選。岸信介、池田勇人、佐藤栄作の下で蔵相などを歴任した。72年、日本列島改造論を掲げて総裁選に勝利し、首相に就任。在任中は日中国交正常化、日ソ共同声明、第1次オイルショックなどの課題に取り組んだが、74年に「金脈問題」が露呈し、退陣に追い込まれた。76年、ロッキード事件で5億円を受け取った疑いで逮捕され自民党離党。その後もキングメーカーとして政界に影響力を持ち続けた。
田中角栄(たなか・かくえい)/1918年、新潟県生まれ。47年に新潟3区から出馬、初当選。岸信介、池田勇人、佐藤栄作の下で蔵相などを歴任した。72年、日本列島改造論を掲げて総裁選に勝利し、首相に就任。在任中は日中国交正常化、日ソ共同声明、第1次オイルショックなどの課題に取り組んだが、74年に「金脈問題」が露呈し、退陣に追い込まれた。76年、ロッキード事件で5億円を受け取った疑いで逮捕され自民党離党。その後もキングメーカーとして政界に影響力を持ち続けた。
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 首相にズバッと切り込んできたジャーナリスト、田原総一朗氏。週刊朝日100周年の記念企画として田中角栄氏以降、秘話を交えて振り返り、“独断”と“偏見”で歴代首相を採点してもらう。「宰相の『通信簿』」第二回は田中角栄氏。金権政治で頂点を極め、金権によって失脚した首相の素顔とは。(一部敬称略)

【田原氏による田中角栄氏の採点表はこちら】

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田原総一朗氏
田原総一朗氏

 1980年、自宅である東京の“目白御殿”でやった「文藝春秋」の企画インタビューの出来事が忘れられない。田中角栄とはそれまでも何度かオフレコで会っていたけど、(76年のロッキード事件で収賄容疑で逮捕され)世の中みんな“田中大批判”の時だからね、事件で失脚後、公にいっさいものを言わなかったから。本人がきちんと話す機会となった。

 部屋に通されて待っていると、開始時間が過ぎても、1時間経っても現れない。秘書の早坂茂三に尋ねると「実は昨日、おやじ(角栄)から『田原総一朗についての資料を一貫目(いっかんめ)集めてこい』と命じられた。その資料を朝から読んでいる」というのだ。

 重さにして3.75キロもの資料、すごいなと。人に会う時には、相手のことをできる限り知らなきゃいけない。角栄から得た最大の教訓。それ以降、僕は財界人、政治家とはあらゆる資料を読み込んでから会う。相手も「こいつ、ここまで知ってるのか」と本音をしゃべってくれる。

 角栄は僕の質問を聞いて、全部答えてくれたの。ところがその後、本人が全部訂正してきて、つまんないインタビューになった。(ロッキード事件の裁判で)不利になることは一切出さないという考えだったようだ。その時の取材のことは後で書いたけどね。

 そして、インタビューが終わると、角栄本人が突然、「取っとけ」って封筒に入った100万円の札束を出した。

 この時に断ったら“けんか”だよね。ためらいながらもその場は受け取って、東京・麹町の田中事務所を訪れ、秘書の早坂らに「悪いけどこの金を返したい」と申し出た。すると、「そんなことしたらおやじが怒って、自民党や政界の取材は一切できないぞ!」って怒鳴られた。

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