ラストランとなった有馬記念で圧勝したオルフェーヴル
ラストランとなった有馬記念で圧勝したオルフェーヴル
この記事の写真をすべて見る

 以前に比べると、強豪馬が一堂に会する「一年の総決算」的な意味合いが薄れてきた有馬記念だが、それでも名勝負を重ねてきた歴史に重みがあることに変わりはない。

【写真】初々しい藤田菜七子騎手はこちら

 そして各世代を代表する名馬たちが名勝負を繰り広げてきただけあって、有馬記念では圧勝で終わるケースはあまり多くない。2020年までの全65回を振り返ってみると、5馬身以上の着差で勝利を収めた馬はわずか5頭だ。今回は彼らによる有馬記念のワンサイドゲームを振りかえってみる。

 最初の圧勝劇は1967年の第12回。主役はこの年の天皇賞(春)を制し、秋は米国遠征してワシントンDCインターナショナルで5着に入った5歳馬(旧馬齢、以下同)スピードシンボリだった。しかしレースは3コーナーから先頭に立った4番人気のカブトシローが2着のリユウフアーロスに6馬身差の圧勝。スピードシンボリは4着までだった。

 このカブトシローという馬は人気を集めると負け、人気を落とすと勝つというクセ馬として当時のファンには知られていた。実は有馬記念の前走で天皇賞(秋)を勝っているのだが、この時は8番人気での勝利。有馬記念が通算9勝目だったが、そこまでの勝利で1番人気に応えたのはたった1回だけだった(逆に1番人気を裏切って負けたことは6回もあった)。

 続いての有馬圧勝は、1974年の第19回を制したタニノチカラだ。半兄に皐月賞とダービーを勝ったタニノムーティエがいる良血馬だったが、骨折でクラシックは不出走。一時は命も危ぶまれる重傷だったが再起を果たして5歳時に天皇賞(秋)を制した苦労人(苦労馬?)でもある。

 6歳となったこの年は京都大賞典などを2連勝して有馬記念へ。この年の有馬は一つ下の世代の名馬であるハイセイコーとタケホープの引退レースとして注目を集めており、両馬は実際に最後の直線でつばぜり合いを見せたが、そんな両雄を尻目に5馬身差で逃げ切ったのがタニノチカラだった(なお2着争いはハイセイコーがタケホープにクビ差で先着)。

次のページ
30年ぶりに圧勝劇を演じた馬は?