大相撲の1991年夏場所初日で35歳の大横綱・千代の富士が18歳の西前頭筆頭・貴花田(のちの横綱・貴乃花)との初対戦で寄り切られ、土俵を去る決意を固めた。日本のスポーツ史における新旧交代の象徴的なシーンと重ねたくなる38歳と16歳の車いすテニスの死闘は、約2時間半で決着を迎えた。
■さらに強くなって戻る
第12ゲーム、あと2ポイントで大金星という場面で小田は「びびった」。その瞬間、ゾーンの感覚も消えた。タイブレークに持ち込まれて押し切られた。3-6、6-2、6-7。
敗れた挑戦者は、表彰式のスピーチで言葉を詰まらせながら、素直な思いを口にした。
「テニスを始めた理由も国枝選手がロンドンで決勝をやっていたからですし、今、対戦相手として戦えたことを本当にうれしく思っています」
サッカー少年だった小田は9歳を迎えるころ、左股関節に発症した骨肉腫の影響で左脚が不自由になった。入院中の失意のベッドで、2012年ロンドンパラリンピックで金メダルを獲得した国枝の動画を見てあこがれ、車いすテニスを始めた。
「僕の涙は悔しいわけじゃなくて、本当にうれしくて、勝手に涙が出てきました」
共感した観衆の拍手の波が、涙ぐむ小田を優しく包み込んだ。
敗者は力強く前を見据えた。
「また来年、この舞台にさらに強くなって戻ってくることを、ここに誓いたいと思います」
「恩人」である国枝の後継者として、間違いなく次代を担う逸材。有明コロシアムの大観衆が、そう確信した夜だった。(朝日新聞編集委員・稲垣康介)
※AERA 2022年11月7日号