ヤクルトスマイル──。今年、ヤクルトを20年ぶりの日本一に導いた高津臣吾監督は、かつてそんな言葉を生み出している。今から6年前、まだ一軍の投手コーチを務めていた頃のことだ。
その2015年、ヤクルトでは野村克則バッテリーコーチ(現阪神二軍バッテリーコーチ)が「ヤクルトスタイル」というフレーズをチーム内に浸透させていて、選手たちもヒーローインタビューなどでしばしば口にするようになっていた。それに便乗するような形で、高津コーチが「ヤクルトスマイル」と言い出したのは、チームが熾烈な首位争いを繰り広げていた8月のこと。以後、この2つのフレーズはセットとなり、グッズとして売り出されるまでになる。
「ヤクルトスタイル! ヤクルトスマイル! エイエイオー!!」
首位争いから抜け出したヤクルトが、サヨナラ勝ちで14年ぶりのセ・リーグ優勝を決めた夜。史上初めて神宮のグラウンドで行われた祝勝会では、森岡良介選手会長(現内野守備走塁コーチ)の掛け声と共にビールかけが始まり、辺り一面にはヤクルトらしい明るい笑顔が広がった。
とにかく明るい──。芸人の名前ではないが、高津監督が投手としてプロ入りした当時から、ヤクルトにはそんなイメージがあった。象徴的な存在だったのが、“ギャオス”の愛称で親しまれた内藤尚行である。1989年から2年連続で開幕投手も務めた内藤は、底抜けの明るさを前面に出し、オフともなればテレビなどで引っ張りダコ。その人気はヤクルトファンだけにとどまらなかった。
さらに野手では池山隆寛(現ヤクルト二軍監督)、古田敦也、飯田哲也、投手では西村龍次、川崎憲次郎など、主力選手の多くが20代半ばから20代前半。「高津投手」がプロ入りした1991年のメンバー構成を見ても、準登録を含む72選手中、30歳未満が実に56人を占めていた。「ヤングスワローズ」と呼ばれた“若さ”も、チームの明るさの大きな要因だったのは間違いない。