背景にあるのはSNSの普及と分断の深化だろう。逗子の条例は2006年。その後の15年で保守とリベラルの溝は比較にならぬほど深くなり、SNSではつねに対立のネタが探されるようになった。条例案はそんな欲望にぴたりと嵌(は)まってしまったのではないか。実際この件で松下玲子市長に届いた手紙のうち、市民からのものは1割以下だという。自分たちの自治をネタにされてしまった武蔵野市民こそ、最大の被害者だ。そしてその2%は外国人である。
地方自治体は国とは役割が異なる。自治体は住民の生活を支えることを目的としている。だからこそ住民であれば国籍関係なくサービスは提供される。その延長線上では当然外国人の意見を聞くことも求められる。それは参政権とはまたべつの話だ。
むろん声を聞く手段は住民投票でなくてもよいのかもしれない。いずれにせよそれを判断するのは武蔵野市民だ。修正再提出が考えられているとも報道されている。次回は冷静な議論ができる静かな環境になるとよいと思う。
東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数
※AERA 2022年1月3日号-1月10日合併号