戦争と敗戦で皇居は焼け、皇室解体の危機に直面しました。
1947年に、日本国憲法が施行されると、身分制度を作りあげていた華族制度は廃止され、天皇は「象徴」となりました。しかし、皇室典範によって皇室だけは、「生まれながらによって特権的な身分制度」を維持し続けることになったのです。
戦後の日本においては、ある意味で異質であり、憲法に矛盾した存在でもあります。
そうしたなかで過激派などが反皇室闘争を掲げゲリラ事件が頻発します。皇室がどうなるのか、先が見えない時代が続きました。
――昭和の後半にかけては、「天皇の訪欧・訪米反対」、「皇太子の訪沖反対」、「天皇の戦争責任追及」などを掲げる過激派勢力が、皇居内に乱入して火炎瓶を投げ、原宿の皇室専用ホームに発煙筒を投げ込み、さらには天皇の特別列車の爆破未遂事件など、皇室に対するゲリラ事件が頻発しました。
平成の前半は、政府の外交に巻き込まれた時期でもありました。
天皇は、政治の意思は受け止めざるを得ない立場にある。その一方で、天皇訪中など国論が割れるような問題については、『日本国民の総意に基づく』地位にある者として、国民が納得する訪中にしなければならない。
難しい状況のなかで、平成の天皇は国の象徴としての姿勢を保ち、その責務を遂げました。
明石さん:戦争と敗戦で皇室解体の危機を目のあたりにした上皇さまは、皇太子時代から象徴とはどうあるべきか、と考え続けた。
そして上皇ご夫妻は、命がけで皇室を守ろうとなさってきた。
国民と皇室との垣根を取り払い、信頼を築きあげてきたのが、おふたりでした。
そのひとつが、国民と同じような私生活を送り、「開けた皇室」であり続けることでした。国民と同じ生活をすれば、人びとの気持ちをよりいっそう、理解できる。それは、分かります。
――ロイヤルファミリーの庶民化は、世界的な流れです。たとえば、英国のキャサリン妃は高級なファッションブランドと同時に「ザラ」などのお手頃価格の服を着こなす。このように庶民感覚をうまくアピールしている点も人気につながっています。一方、日本の皇室はどうでしょうか。