平成の終わりから令和にかけて皇室は、秋篠宮家の長女、眞子さんの結婚問題に揺れた。それは、皇室を長く支えてきた人たちにどう映ったのだろうか。司馬遼太郎が『坂の上の雲』で描いた陸軍情報将校、明石元二郎の孫であり、上皇さまの同級生の明石元紹さん(87)。学習院の幼稚園で明仁親王に出会い、戦時下では明仁皇太子とともに日光で疎開生活を送り、高等科ではともに馬術部で青春を過ごした。上皇さまの退位問題の際には、届かぬ上皇さまの声を官邸や世間に伝えようと橋渡し役を担いもした。その明石さんに今後の皇室のあり方について思いを聞いた。
【写真】あっ、カモを落としちゃった!大慌ての小室眞子さんの「失敗」
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――海外メディアに撮影された画像を見る限り、眞子さんは、自由なニューヨーク生活を満喫しているようです。その様子に国民は安堵を感じる一方で、結婚問題で生まれた皇室への不信感や行き場のない感情は「わだかまり」としてくすぶったままです。
明石さん:眞子さんが結婚会見で発信した言葉や宮内庁や秋篠宮家による金銭問題への対処の仕方は、皇族に相応しいとは言い難いものでした。
僕ら80年近く皇室を見守り続けてきた学習院の仲間のあいだでも、「これではもう、皇室はなくなっていいのではないか」と、嘆いた人間もいたほどでした。
結婚問題で顕在化した「皇室の危機」。それは、眞子さんひとりに、「責任」をかぶせて蓋をすればいい、というものではありません。
眞子さんが民間人となって日本を離れたから、「終わった」わけでもありません。
何が眞子さんの結婚問題を引き起こしたのか、現在の皇室の抱える矛盾や限界を振り返り、背景を理解する必要があります。
その根底にあったのは、極端なまでの「皇室の庶民化」にあったのではないかと感じています。
――それはどのような意味でしょうか。
明石さん:皇室はいまだに、日本で唯一、「生まれながらに特権的な身分を持つ」存在です。
第2次世界大戦のなかで、私は疎開した明仁親王とともに日光に疎開し、そこで玉音放送を聞きました。