次のカットは、千余両の都電の中でたった一両の存在だった6500型で、フジカラーリバサルフィルムを試写した時の一コマだ。1967年の撮影から55年の歳月を経たオリジナルフィルムの退色が甚だしかったが、デジタルリマスター時に加工ソフトで復元を試みた。撮影区間は本通線の銀座二丁目~京橋だが、戦時中の1944年までは、ちょうど都電が走る辺りに銀座一丁目停留所が存在した。
獅子文六は前出の『ちんちん電車』の文中で、「昔は、京橋の停留所は橋の手前だったと思うが、今は橋向うだから」と回想している。念のため資料を紐解くと、1903年の本通線開通時に銀座一丁目停留所は京橋と呼称されており、京橋川を渡った先が南伝馬町停留所の呼称だった。双方が銀座一丁目と京橋に改称されたのは1920年で、獅子文六の記憶が正鵠を得ていた。
画面の中央を横断するのが東京高速道路の「銀座 京橋」高架橋で、架橋にともなって京橋の平滑化工事も実施された。画面右奥の赤煉瓦造りのシックなビルが1921年に竣工した「第一相互館」だ。尖塔までの高さが京橋・銀座地区で一番高い45mというレコードホルダーだった。戦前からのランドマークとして君臨したが、1971年に惜しくも建て替えられた。
■撮影:1967年12月6日
※AERAオンライン限定記事