野添文彬著『沖縄県知事 その人生と思想』(新潮選書)
野添文彬著『沖縄県知事 その人生と思想』(新潮選書)

■歴史を背負う覚悟

――沖縄県知事と他の都道府県知事との違いは、「基地政策」に忙殺されることだ、と指摘されています。これは、沖縄は他の地域よりも、国益と県益が重ならないことが多いからでしょうか。

野添 国益と県益が重ならないことがあること自体は、どの都道府県にもあることだと思いますが、沖縄県の場合は、在日米軍基地の専用施設の約7割が集中しているという、安全保障面での過重で不公平な負担を担っています。米軍基地の存在による安全保障というメリットに対して、過重な基地負担による県民生活への影響(事件、事故、騒音、環境破壊、さらには土地使用も)というデメリットがあまりにも大きいといえます。その結果、むしろ国益によって県益が犠牲にされている側面が大きいと思います。

 こうした中で、沖縄県知事には、基地の過重負担という日米安保の構造的な問題によって多くの県民の生活が脅かされる中、保革どの立場であっても、県民の生活を守るべく、沖縄県の代表として、日本政府や米国政府にときに厳しく対峙することが求められます。そして、安全保障の負担が沖縄という地域に押し付けられていることに対する異議申し立てをしていくことが、沖縄だけでなく日本の民主主義のためにも必要だと思います。

 また、沖縄はこれまで日本本土とは異なる激動の歴史を担ってきました。そして現在の基地問題を抱えています。こうした中で、沖縄県知事には、このような歴史を背負い、現在の基地問題や貧困問題など深刻な問題を解決していく姿勢が求められていると思います。保守、革新といった陣営の代表ではなく、歴史を背負った沖縄県民全体の代表としての姿勢、覚悟が求められています。

――米軍基地問題の解決に向けて知事として初めて訪米活動を行った知事は1978年から3期務めた保守の西銘順治知事で、そのときに初めて普天間飛行場の返還を米国側に求めたという事実は興味深く受け止めました。

野添 西銘は、保守知事でありながら、基地問題解決にある程度動いたと思います。第一に、基地に対する県民世論の強い反発を受けて動かざるを得ませんでした。第二に、経済発展のためには基地は阻害要因だと考えていました。第三に、冷戦終結が近づく中、基地縮小の可能性を見ていたと思います。

 こうした中で、特に那覇軍港について、74年に返還合意されたにもかかわらず、県内移設が条件のため返還実現していないことに対して西銘はいら立っていました。沖縄は、土地が狭く、県民世論の反対が強く、県内移設はできないと主張しましたが、それは普天間基地問題にも共通する問題だと思います。

――「保守のドン」の西銘知事が三選直後、「俺は国政に戻って、防衛庁長官になりたい」と漏らしたエピソードも印象的です。

野添 西銘は、知事になる前には大臣就任間近であったこともあり、国会議員としてバリバリやってきた自信があったのだと思います。また、外務省出身で、米国統治時代には琉球政府幹部や那覇市長として米国側とやりあってきた自信もあったと思います。そうした中で、沖縄のために尽くしたいという気持ちが強い一方で、沖縄の問題を解決するためには沖縄県知事では力が弱く、結局は日本政府を動かさなければならないという矛盾を強く感じていたのではないでしょうか。

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