■「割り切る」か「割り切れない」か
――「保守」と「革新」の二項対立的な見方への違和感がある、と書かれています。大田昌秀知事の政敵だった翁長雄志知事が結局、「辺野古反対」で重なったり、「革新」の大田県政の副知事だった仲井眞弘多氏が「保守」の知事になったり。「沖縄の保守・革新」についてどのように捉えておられますか。
野添 一般に基地に賛成で経済振興を重視するのが「保守」、基地に反対で平和や人権を重視するのが「革新」と言われ、それぞれの陣営同士で対立してきたのが沖縄政治であるのは事実です。しかし、保守であれ革新であれ、知事になった人物は県民全体の代表として、そうした保革対立を越えて対応する必要があります。別の言い方になりますが、玉城デニー知事は、沖縄の基地問題について「割り切ろうと思えば割り切れるが、しかし割り切れなさが残る」と私にインタビューで話しました。「割り切る」のが保守、「割り切れない」のが革新、というようにも言えると思いますが、とはいえ、どの知事も「割り切る」か「割り切れない」かで葛藤してきたことは同じであると思います。「保守」で基地に賛成であっても基地問題によって県民生活がおびやかされていることに対応しなければならないことも「現実」であり「割り切れなさ」はどこかで残るし、「革新」で基地に反対であってもときに日本政府と協調し「落としどころ」を探って当面は妥協的に問題解決に取り組まなければならないのも「現実」でありどこかで「割り切る」ことが求められます。程度の差は確かにありますが、本書では、保革を超えて共通する葛藤や苦悩に注目しました。
保革対立という軸に過度に注目して沖縄政治を見るとこうした「現実」を見過ごすことになり、また、(特に日本本土側の)都合の良い単純な見方をしてしまいます(保守知事になったから基地問題は解決した、革新知事だから沖縄県民は平和を愛し基地撤去を求めているなど)。なお、こうした保革を超えた沖縄の苦悩という点で沖縄の政治勢力を結集しようとしたのが、翁長雄志知事の「オール沖縄」だったと思います。ただ、その試みがどうであれ、仮に今後保守系の知事が生まれてもこうした葛藤には直面すると思います。