人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、「エリザベス女王の国葬」について。
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インド洋に浮かぶ美しい島、モーリシャスを訪れたのは、一九七七年頃だったか。半年間エジプトのカイロに在住中の夏休みだった。
ほとんどがヨーロッパからの避暑客である。首都ポートルイスで、体に巻き付けてドレスがわりにする布を買い、現地のお金を払った。紙幣にはエリザベス女王の顔が大きく印刷されている。イギリスから独立したモーリシャス共和国だから当然かもしれないが、改めて大英帝国の力が隅々まで行き渡っていたことを痛感した。
その証拠といえるのが、言語と通貨である。文化面でいえば言語。イギリス領なら英語、フランス領だったところならタヒチのようにフランス語が公用語になった。現地の文化地盤は宗主国に合わせて変えられた。経済面では紙幣や硬貨のデザインに象徴される。
今回、エリザベス女王逝去に伴い、イギリス国民のインタビューに接すると、王室のあり方に反対でも、エリザベス女王の国葬には賛成する声があった。
それだけエリザベス女王個人の魅力が大きいのだろう。二十五歳で前国王の急逝に伴って即位し七十年。私よりも常に公を先にして務めたけなげな姿を国民はみんな見ている。国葬に異論があるわけはない。
そのエリザベス女王の時代は、大英帝国の多くの国々が独立していく多難な時代だった。その一つ一つに真摯に対応し、厳しい中にも優しさを湛えた笑顔で乗り越えてきた。
一方で、女王の評判が落ちたのは、ダイアナ元妃の死に対する態度の冷たさだった。
女王は、ダイアナ元妃とは相いれない性格と考え方の持ち主だと思う。ダイアナ元妃の行動は私を大切にし、公については女王のような義務感のある厳しさに欠けていたのだろう。それが女王には理解しがたかった。例えばチャールズ皇太子の不倫についてマスコミに語るなど、想像もできなかったろう。