9月27日に安倍晋三元首相の国葬の会場となる日本武道館。1967年の吉田茂元首相の国葬も行われた=東京都千代田区
9月27日に安倍晋三元首相の国葬の会場となる日本武道館。1967年の吉田茂元首相の国葬も行われた=東京都千代田区
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 国民に違和感が残ったまま安倍晋三元首相の国葬が行われる。ノンフィクション作家の保阪正康さんの目に今回の国葬はどう映るのか。AERA 2022年9月26日号の記事を紹介する。

【貴重写真】1943年に行われた山本五十六の国葬の様子

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今回の国葬は内閣による私物化だと思っています。国葬の決定には行政府のみならず、立法府での議論などを通じた国家的な意思確認が最低限必要です。そうした手続きを経なかったことは、私は安倍晋三元首相の支持者ではありませんが、安倍さんに対しても失礼だなと感じます。安倍さんが国葬に値するかどうかは次の問題です。岸田文雄首相は国葬を私物化したという一点で議会政治に汚点を残しました。ほかにも、いくつもの矛盾や歴史への説明不足が目に付きます。国民の間にも、「何かおかしいぞ」という感覚が広がり、支持率低下につながっているのだと思います。

近代史のスタートは1868年の明治維新から終戦の1945(昭和20)年、現代史は1945年以降の現在(2022年)と捉えたとき、昭和は近代史の終わりと現代史のスタートという、2つの時代を兼ねています。近代史から現代史、そして現在までの間隔はいずれも77年。今年はそういう節目の年に当たります。

1943年の太平洋戦争中に海軍元帥の山本五十六の国葬が行われています。近代史は太平洋戦争が「ジ・エンド」のステージだったわけです。そのステージで軍人として太平洋戦争の端緒を開く真珠湾攻撃を指揮した山本の国葬は象徴的でした。

戦後は国葬の法的根拠がなく、実施例も1967年の吉田茂元首相だけです。吉田は現代史のスタート地点である、アメリカの占領政策の中で日本の国益をいかに守るかに尽力しました。良し悪しの評価は別として、これは歴史的業績に位置付けられます。山本五十六も吉田茂も日本の近現代史上、この2人だったら、という納得感があります。

国葬は本来、確たる業績評価を行った上で検討されるべき国策です。例えば、吉田茂の門弟たちは彼の業績を後世に残そうと、吉田の政界引退後、池田勇人や佐藤栄作らを相手に語った『回想十年』という本を出版しています。これは立派な歴史的文献です。首相として吉田の国葬を決定した佐藤の判断は、こうした取り組みや意識の帰結と捉えることが可能です。

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