佐藤さんは千葉県生まれだが、祖母が福島県双葉町に住んでいたため、14年に同県大熊町役場(いわき市の支所)に入り、復興支援員として働いた。町の男性と結婚し、19年春の一部避難指示解除とともに同町に移住した。その後に「HAMADOORI13」に転じた。
「原発事故なんかで、自分たちの町を、文化を、伝統を消されてたまるか」
同団体に参画したのは、そんな思いからだった。
浜通りで力を試して
フェニックスプロジェクトはほかにも、古民家カフェ経営や酒造り事業などに挑戦する26~29歳を選定、男女計5人の起業家を支援する。
「この浜通りで力を試してみたい全国の若い人にぜひチャレンジしてほしい」
と佐藤さんは言う。大熊町では町の中心部の避難指示が解除になったばかり。避難先に生活拠点ができた住民の帰還が進まない厳しい現実は、浜通りの自治体に共通した難題だ。
飯舘村に話を戻そう。20年夏に移住し、「100人目の移住者」として村をPRする「までい大使」となった塚越栄光さん(47)が感じるのは、最近の移住者に「復興とは別次元の動き」が見えることだ。
お盆のころに塚越さんが仕掛けた果樹園開きのイベントに、柔道整復師の長田卓也さん(38)が3人の子どもたちを連れて参加した。
宮城県岩沼市から家族5人でやってきたのが昨年の夏。自宅で整骨院を開くと、
「あっという間に予約で1週間、いや10日先までいっぱいになった」
5年前の春に避難指示が解除された飯舘村の居住者は1503人(8月1日現在)だが、6割近くが高齢者だ。
「原発事故以来、村に帰ってくるのは年寄りばかりと聞いてたけれど、ただの高齢者じゃない。みな熱い」
どの人も座骨神経痛をはじめ、長い間の農作業の疲労で体の各所にガタがきているけれども、「畑を荒らしてはおけない」と一向に作業をやめない。
昨春には、やはり移住してきた医師や看護師らとともに身体ケアのイベントに参加。電気治療器や施術ベッドを持ち込み問診、施術をした。
「移住者も熱い気持ちじゃ負けられない」