翁長氏が後継に指名したのは、県政与党・沖縄社会大衆党(社大党)の副書記長で、那覇市議の上原快佐氏。ほかに出馬するのは、NPО法人代表理事の糸数未希氏で、母親はオール沖縄会議共同代表の糸数慶子前参院議員(元社大党委員長)だ。玉城県政に中立の立場を取り、無所属で立候補するという。さらには、オール沖縄を支援してきた「かりゆしグループ」会長の平良朝敬氏が一時は無所属での立候補を検討していた(その後、辞退)。

「関係が複雑に入り組んできています。知事選の結果も踏まえ、選挙後の沖縄政界は再編が起きる可能性があります」(沖縄政界関係者)

 前回(18年)の知事選は翁長前知事の急逝に伴い、実施された。今回もオール沖縄はかけがえのない重鎮を亡くしている。8月4日に死去した新里米吉前県議会議長(元社民党県連委員長)は、玉城氏の選対本部長を務めていた。

 新里氏は14年の知事選で、自民党県連幹事長も務めた“保守本流”の翁長氏を、オール沖縄の候補として擁立するために奔走した人物だ。

 代表曲「月桃」で知られる音楽家の海勢頭豊氏は、玉城氏、新里氏とはうるま市(当時は具志川市)にある前原高校の先輩・後輩の間柄だ(海勢頭氏は17期、新里氏は20期、玉城氏は33期)。海勢頭氏がこう語る。

「オール沖縄を立ち上げ、まとめ役をやったのは、(新里)米吉だったんです。翁長さんは僕の店(那覇市にあったライブハウス「エル・パピリオン」)の常連客だったから、僕も好人物だと思っていた。翁長さんだけじゃなくて、大田昌秀、稲嶺恵一、仲井眞弘多の歴代知事はみんな常連でした。翁長さんを擁立した時、大田さんは『自分の政敵を何で担ぎ出すのか』とカンカンになって怒ったんだけど、米吉はそうした批判に耐えながら革新勢をうまくなだめて、ここまで来たんです」

 翁長氏が亡くなると、後継者を誰にするか、すんなりとは決まらなかった。翁長氏の意中の人物が玉城氏だったと知ると、新里氏は再びオール沖縄をまとめ上げた。海勢頭氏は玉城氏にこう期待を寄せる。

「先輩から見れば、デニーは危なっかしいところもあるが(笑)、それはラジオのパーソナリティーをやっていたから、人を楽しませようというキャラクターだからなんです。ウチナンチューが誇りを持てる選挙結果を期待したい」

 知事選、那覇市長選、県議補選と一連の選挙でどんな民意が示されるのか。いずれにせよ、中央政界は「沖縄の声」を誠実に受け止めるべきだろう。

(本誌・亀井洋志)

※週刊朝日オンライン限定記事

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