「日米での実績はもちろん能見の後釜としても大きな注目を浴び、期待をされた。(能見は)阪神16年在籍の生え抜きでファンからは絶大の人気を誇っていた。自分から表に出るタイプではないが黙々とプレーする姿勢でチーム内の信頼も厚かった。自由契約時には多方面から不満の声が上がった。能見の背番号を託したチェンには誰もが期待したのですが1年目は大失敗だった」(阪神担当記者)
能見は04年のドラフト自由獲得枠で社会人・大阪ガスから阪神に入団。12年に最多奪三振のタイトルを獲得するなど阪神では通算443試合に登板し、104勝93敗51ホールド2セーブ、防御率3・34を記録。退団時は41歳ながら150キロ近い球速は健在で、適材適所の起用なら結果が出せると思われていたが、20年11月に自由契約が球団から発表された。
「チェンと能見では任される仕事が違うので単純比較はできないが、背番号14が阪神の左のエースナンバーという認識が生まれつつあった。チェン自身も重要な立場なのは理解していたと思うが不甲斐ない結果だった。故障があったとはいえ一軍登板2試合では話にならない。ここまで投げられないということは予兆もあったはずで編成担当の責任問題が問われてもしょうがない」(阪神OB)
チェンは阪神1年目の昨季、一軍で2試合の登板しかできず1勝0敗、防御率3.86と苦しんだ。4月29日の中日戦(バンテリン)では3497日ぶりのNPB勝利が話題になったが、5月7日DeNA戦(横浜)を最後に左肩痛もありファーム暮らしが続いた。一方、能見は移籍したオリックスで投手兼任コーチとしてプレー。26試合に登板して、0勝0敗5ホールド2セーブ、防御率4.03とリーグ優勝を果たしたチームの中でまだまだやれることを証明した。
「ロッテが(チェンを)自由契約にしたのは健康面に何かしら不安を感じていたのかもしれない。当初の契約も9月からの約2カ月間で推定年俸3000万円という破格値。自由契約後も再契約に乗り出したとされるが高額オファーはしなかったのだろう。球団予算内でチェンと契約できればラッキーぐらいの感じだったのではないか」(在京球団編成担当)