■長男は本人の受容も重要だった

 ひざ下が不自由な息子の場合は、保護者だけでなく、本人の受容もとても重要でした。息子は知的に遅れがないため、自分が「普通」の場所にいることにこだわり、装具を履くのを拒否したり、車での送迎を拒んだりと、時には無理をして生活を送っていた時期もありました。でも、そんな彼も中学3年生になり、体育や数学の図形問題など「努力だけではどうにもならないから障害なんだ」と、良い意味で少しずつ開き直ることができているようです。

 きっと、時間はかかってもこうして自分で気づくことが大切なのですよね。

■受け入れることは諦めではない

 子どもの病気や障害は悲しい事実ですが、決して不幸ではありません。

 子どものありのままの状態を知って受け止めることは、諦めとは違います。

 その子に一番合い、心地よいと思う場所に、最速で近づける術なのだと思います。

 長女がここまで大きくなる間には、少しでも良くならないかと必死に考え、たくさんのリハビリを受けた時期もありました。でもある時に、この子が快適に過ごせる環境をつくっていくことが私の一番の役割ではないかと思い、少し視点を変えたところ、自分自身も、おそらく長女もとても楽になりました。

 長女は今でも寝たきりの医療的ケア児です。でも彼女は人ともめることもなく、誰かに気を遣うこともなく、常に自由に生きていて、私にはとても幸せそうに見えるのです。

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江利川ちひろ

江利川ちひろ

江利川ちひろ(えりかわ・ちひろ)/1975年生まれ。NPO法人かるがもCPキッズ(脳性まひの子どもとパパママの会)代表理事、ソーシャルワーカー。双子の姉妹と年子の弟の母。長女は重症心身障害児、長男は軽度肢体不自由児。2011年、長男を米国ハワイ州のプリスクールへ入園させたことがきっかけでインクルーシブ教育と家族支援の重要性を知り、大学でソーシャルワーク(社会福祉学)を学ぶ。

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