帯津良一(おびつ・りょういち)/帯津三敬病院名誉院長
帯津良一(おびつ・りょういち)/帯津三敬病院名誉院長
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 西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「がんの告知」。

*  *  *

【人は強い】ポイント
(1)1976年には医師は誰もがんの告知をしなかった
(2)ところが6年後には、がんの告知が完全に日常化した
(3)人間は本当は強くて、がんの告知に負けはしない

 私が都立駒込病院に赴任したのは1976年、いまから46年前です。私の専門は食道がんの手術でしたが、当時、がんの病名告知はまったく行われていませんでした。

 かかりつけの先生のところで診断を受け、手術を受けるために来るのですが、誰一人、病名告知を受けていないのです。

「食道の一部が狭くなっています。このままにしておくと、だんだん食べられなくなってきます。いまのうちに手術を受けたほうがいいですね」

 こう言われて皆さんやってくるのです。食道がんの手術というのは、当時は胸、腹、首を開けるという大手術で、合併症も決して少なくありませんでした。ですから、手術の内容についてよく説明します。その際も食道がんという病名には決して触れませんでした。

 病名を問う人はふつういなかったのですが、時に「がんではないでしょうね」と聞いてくる方もいらっしゃいました。そのときは、迷わず「がんではありません。潰瘍です」と断言していました。

 当時は、ある高僧ががんの告知を受けたとたんにがっくりきて、死期を早めたといった話が語られていたのです。がんの告知は患者さんのためにならないというのが、医師の常識だったのです。

 ところが82年に私が病院を去る頃には、告知が完全に日常化していました。6年の間に事情は変わったのです。治療の進歩に連れて「告知は死の宣告」という考えが消えたのか、無理な嘘はつかなくなりました。

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