トンガ代表の選手として平昌五輪にも出場したピタ・タウファトファ
トンガ代表の選手として平昌五輪にも出場したピタ・タウファトファ
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 いよいよ2月4日の北京冬季五輪の開幕が迫ってきた(※開会式前に一部競技は既にスタート)。昨年の東京五輪に引き続いて新型コロナウイルスが世界的に猛威を振るう中での開催に加え、新疆ウイグル自治区での人権問題など政治的な注目も高まっているが、今回はそうした心配事からいったん離れ、果敢なチャレンジ精神をもって熱帯諸国から冬季五輪へ挑戦した勇者たちの歴史を紐解いてみる。

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 常夏の国からの冬季五輪挑戦と聞いて、多くの人が真っ先に思い出すのは映画『クールランニング』だろう。1993年に公開された映画だが、舞台となったのは88年のカルガリー五輪。ジャマイカからボブスレー競技に参戦した選手たちに焦点を当てた名作だ。

 ネタバレを避けるためにカルガリー五輪での結果については伏せるが、ジャマイカのボブスレー代表は決して話題作りのための一発屋ではなく、その後も五輪へ何度も出場していることを付記しておく。

 ちなみにジャマイカでのボブスレー熱はアメリカから移住したビジネスマンが地元と協力して盛り上げたものだが、五輪史上では国際競技連盟が熱帯諸国への競技普及に乗り出した例もある。

 98年に長野五輪を控えた90年代前半はリュージュの人気が下火で、国際オリンピック委員会(IOC)が定める最低参加国数(25カ国)を下回る恐れが浮上していた。そこで国際リュージュ連盟が目を付けたのが熱帯諸国。彼らの育成を支援することで五輪の参加国を増やそうと試みたのだ。

 結果的に育成支援を受けた選手たちのうち、3人が長野五輪への出場権を獲得した。その中でも16歳でインド代表となったシバ・ケシャバンは長野五輪こそ28位だったが、その後はアジア有数のリュージュ選手に成長。18年のソチ五輪まで6回連続で五輪に出場したほか、アジアカップで金メダルを獲得するまでになった。

 東京五輪の開会式で鍛え抜かれた裸の上半身にオイルを塗って光らせ、話題になった選手を覚えているだろうか。テコンドーのトンガ代表、ピタ・タウファトファだ。彼は16年のリオデジャネイロ五輪にも同様のスタイルで入場して全世界の注目の的となっていたが、18年の平昌五輪にもノルディックスキー距離の選手として参加。氷点下の開会式でも上半身裸のスタイルを貫いてトンガの旗手を務めた。

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北京で初めて冬季五輪に選手を送る国も…