スティーブ・コックス(写真提供・横浜ベイスターズ)
スティーブ・コックス(写真提供・横浜ベイスターズ)
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 今や現役メジャーリーガーの移籍も珍しくなくなったプロ野球だが、メジャーで実績があっても、日本で通用するとは限らない。1年目のシーズン途中で早々と退団帰国する大失敗例もあり、複数年契約を結んでいようものなら、当然その分“授業料”も高くついてしまう。

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 4年契約を結んだのに、2年でクビになったのが、メジャー通算196盗塁のバンプ・ウィルスだ。

 6年連続盗塁王に輝いたモーリー・ウィルスを父に持つバンプは、父が阪急の臨時コーチを務めた縁から1983年、推定年俸1億円の4年契約で阪急に入団。福本豊との1、2番コンビを期待されたが、現役メジャーのプライドの高さから、「日本の試合は長過ぎる。練習もやり過ぎる」などと不満ばかり口にしていた。

 84年5月9日の日本ハム戦では、カウント2-0からベンチの「待て」のサインを無視して二ゴロに倒れ、「アメリカでは2-0からのウェートはあり得ない」と言い訳したことから、上田利治監督が激怒。直後、2軍落ちが決まったが、球団側が契約を盾に拒否したため、翌10日の試合で、上田監督が指揮権を放棄する事件に発展した。

 その後もバンプは打率2割3分台と低迷し、守備や走塁でも怠慢プレーが相次いだため、8月に2軍落ち。「体力も気力も欠けており、あれではとても使えない。あれだけ無気力なプレーをされたら、ほかのナインにも悪影響を及ぼす」(上田監督)と、2年の契約を残して戦力外になった。

 その後、損失分を少しでも取り戻そうと、球団幹部がウインターミーティングでメジャー各球団に交換トレードを持ち掛けたが、うまくいかず、最終的に残り2年分の半分を支払うことで退団に同意させたという。

 メジャーでの実績は十分だったのに、けが続きで強打者の片鱗すら見せられず、1年目のシーズン前半で終わったのが、03年に横浜入りしたスティーブ・コックスだ。

 99年にデビルレイズ傘下の3Aで首位打者と打点王の二冠に輝いたコックスは、シーズン終盤にメジャー初昇格。翌00年から3年連続100試合以上に出場し、02年は16本塁打、72打点を記録。28歳の働き盛りで、妻に「いずれ日本でプレーしたい」と打ち明けるなど、日本球界入りにも前向きだった。

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コックスの契約は史上最悪レベル?