その子の家は、父親も母親も有名な大学を出ており、その子には、「医者になってもらいたい」と大きな期待をかけていたのです。
この家庭のケースでは、親が子どもの教育に相当なお金や手間をかけています。しかし、果たしてこれを英才教育と呼んでいいものでしょうか。
きっと、自分たちは受験をがんばり、おかげで何かしらのメリットがあったがために、子どもにもそれを伝えたいのだと思います。
しかし、子どもにはおのおのの人格があり、内向的な子、外遊びが好きな子、親の言うことを素直に聞く子、自分のやりたいことを優先する子など、十人十色です。遺伝子的に似ている要素はあるかもしれませんが、決して自分たちと同じやり方でがんばれるわけではないのです。
■子どもが、親の欲求を満たす道具になっている
また以前、うつの本を書いたときにもらった手紙で、非常に印象に残っているものがあります。
大学受験の勉強中だという生徒からでしたが、親から「早慶以上の大学にいきなさい。それ以外は進学を許しません」と言われ、試験に落ちるのが怖くて気が滅入り、勉強が手につかなくなってしまったのだそうです。
「このままでは点数が足りないので落ちてしまう」「今後どうしたらいいかわからない」という内容が書かれていました。
この話を聞いたとき、子どもが、親の欲求を満たす単なる道具のようになっていると感じました。
私は、子どもが船だとしたら、親は子どもの「港」のような存在であるべきだと考えています。
疲れたら、「少し休んでいけば?」と受け入れて、もし道に迷っていたら、地図を渡して方向を教えてあげる。そして船が出発するときには、必要な荷物を持たせて応援する、というようなイメージです。
しかし、親の中には、船と一緒についていくどころか、まるで自分が船の「船長」であるような振る舞いをする人がいます。
進む方向を勝手に決めてしまい、どこに行って何をすべきかを命令するのです。
もし、違う方向に向かおうとすると怒り始め、少しでもスピードが落ちてしまうと、「本当にがんばっているのか?」と、機嫌が悪くなります。