ライの友人である、ホストのアサヒ、ゲイバーのママ・オシン、アサヒの彼女でオシンいわく「この世の全ての不幸を体現したような女」である作家のユキ。それぞれに世の中の分かりやすい“普通”では括りきれない彼らと接していくことで、腐女子であること以外は、ザ・普通の見本のような由嘉里は、何度も自分の中にある“普通の壁”にぶち当たる。そして、その都度限界を思い知りながらも、その壁に爪をたてて崩していく。
自分に理解できないことどもを、否定するのではなく、自分と同じ価値観に転換させるのでもなく、あるがままに受け入れること。言葉にするのは容易(たやす)いけれど、それがどんなに大変なことなのか。そのことはライに対する由嘉里の空回りを見れば分かる。自分には分かりようのない、けれど自分にとっての大切な相手に、自分の想いが届かないもどかしさに歯噛みしつつも、寄り添いたいと思うその気持ち。それこそが、相手を尊重する、ということなのだ。
こんなふうに書いてしまうと、本書が何やら小難しい内容だと思われてしまうかもしれないが、そうではない。テーマは深淵ではあるけれど、物語自体はあくまでも軽やかで、思わず噴き出してしまう箇所さえも。息苦しい時代に風穴を開けてくれる一冊でもある。
※週刊朝日 2022年2月18日号