年明けからしばらく格闘技界の話題を席巻した大晦日「RIZIN.33」のシバターvs.久保優太。両者の間で事前にやり取りがあったことが発覚し事態は紛糾したが、そもそもこの試合はフェザー級(66kg)相当の久保に対しシバター寄りの90kg契約で行われた、体格差のある一戦であった。現在MMA(総合格闘技)はスポーツとして確立され、階級内でのチャンピオンを争う戦いが主流となっているが、ここに至るまで体格・階級差を超えた戦いも見られてきた。黎明期のあだ花、あるいはスポーツとしての確立に必要であったのか、そんな戦いを振り返る。
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初代タイガーマスク・佐山聡が世界でいち早く総合格闘技を競技化したシューティング(現・修斗)。1986年6月に第1回アマチュア大会を開催し、3年後の89年5月からプロ大会を実施、初期から階級制を敷きチャンピオンを制定してきた(プロ化から1年後の90年5月に初代ミドル級王者が誕生した)。
一方で当初は「アルティメット」の呼称が一般的だったUFCは体重無差別で、階級制を敷かずに93年11月にスタート。出場8選手の中、痩せて非力に見えたホイス・グレイシーが、ケン・シャムロックやジェラルド・ゴルドーといった体格にまさる相手を次々に降し、柔術の強さを示す一大デモンストレーションとなった。
まだ総合格闘技=MMAとしての戦いは確立されておらず、異種格闘技によるぶつかり合いであった初期UFCは目潰し、噛みつきといった最低限の反則がルールとして定められていたものの、大きな体格差での戦いなど“何でもあり”の様相を呈していた。
そんな中、94年9月の「UFC 3」に出場したのがエマニュエル・ヤーブロー。203cm、300kgを超える巨体でアマチュア相撲で活躍し、275kgの小錦より重いヤーブローは世界最重量のアスリートとしてギネスブックに掲載されたこともあり、95年には世界相撲選手権無差別級で優勝を果たしている(92・94・96年は2位、93年は3位)。