■鮮烈な春の訪れ「作品にまとめたい」
木原さんは再び、石巻をたずねると、私生活を含めて、女性の姿をカメラに収めた。その距離はとても近く、2人の間に緊張感は感じられない。しかし、意外にも木原さん自身はそうではなかったという。
「緊張しているのを相手に見せないように、ごまかしつつ撮影したんです。自分には、人を撮るのはちょっと照れちゃう、みたいな気持ちがある」
観光気分で訪れたのは、市街地の北にあるトヤケ森山。通称「馬っこ山」。写真には旧北上川の流れる田園風景を背景に、はにかむ彼女の姿が写っている。
「ここへ連れていってもらって、『春はいいですよ』と言われたんです。そのとき、もう1回来よう、もしかしたら、作品にできるんじゃないかな、みたいな気持ちがどこかにあったと思う」
先に書いた塩竈フォトフェスティバルが開催されたのこのころで、その2カ月後、5月に石巻を訪ね、馬っこ山を歩いた。すると、前回とは様変わりした美しい緑の風景が広がっていた。
「こんなに季節が流れるんだ、と思ったんです。出来上がった写真を見たときも、これはいいな、と思った。作品にまとめたいという気持ちになったのは、この季節の移り変わりを見たときかもしれない」と、木原さんは振り返る。
さらに、「石巻の夏は短くて、あっという間に終わります」と言う女性の言葉に引かれ、7月にも石巻を訪れた。
青々とした稲田、夏祭りの花火、スイカの棒アイスをかじる彼女の姿。馬っこ山の風景はもう見慣れたものになっている。
■「行くとなったら、これが最後」
「石巻に滞在したのは、長くても2泊3日だったんですけれど、繰り返し訪れると、お互いに慣れてくるじゃないですか。『友だち』みたいな感じにもだんだんなってくる。でも、知らない人ではないけれど、友だちではない段階で撮影を終わらせて、今回の作品をまとめたかった」
最後の19年3月の石巻訪問まで、半年以上、間があいた。作品の撮り始めは意識していなかったが、撮り終わりははっきりと意識していたという。
「もう1回行こうという気持ちになるまで待ったんです。その間、これまで写してきたものは何なんだろう、とか、いろいろ考えた。それで、行くとなったら、これが最後、少なくともこの作品はこれで終わらせよう、と思った」
冬枯れの風景が広がる早春の石巻。工場地帯の大きな煙突から冷たい空に立ち昇る白い煙。ビニールハウスのイチゴの葉の濃い緑と、収穫した実の赤が不自然なくらい鮮やかに見える。そんな写真の合間に写る女性の姿。物語の最後、低い太陽の光が車の運転席に座る彼女の顔を照らし出す。
「劇的なことは何も起こらないですし、物語もあるようで、ない」。そんな作品に感情を揺さぶられた。
インタビューの終盤、木原さんは「他者を撮影することは搾取(さくしゅ)につながる」と、口にした。
「誰かを撮るって、それを大衆の目にさらすということも含めて、作家としてのエゴだし、自分はそのために彼女を被写体として写した。でも、恋人とか家族とか、そういう関係じゃなくても、誰でも関係し合って生きている。それを肯定していきたい。そう、できるのだったら、希望につながるな、っていう思いがこの作品にはあるんです」
作品をまとめ終わった後、コロナ禍の世の中となり、人との結びつきの大切さが見直されるようになった。そんななか、この作品は新たな意味を持ち、それに木原さん自身が問い直されているように感じるという。
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】木原千裕写真展「いくつかある光の」
コミュニケーションギャラリー ふげん社 2月11日~3月6日