18年、19歳で出場した平昌五輪は、第一人者のショーン・ホワイト(米)に最終3回目に逆転された。2大会連続銀メダルにも笑顔はなかった。
「素直に、負けを認めている。でも、笑えるところまではやっぱりたどり着けていない」
さらなる高みに登るために何をすべきか。選んだのは東京五輪で採用が決まっていたスケートボードへの挑戦だった。
平昌五輪後の18年の会見で「二刀流」への思いを、こう語った。
「スケートボードはスノーボードと同じタイミングではじめた競技で、一つの挑戦として、自分の成長のためにがんばろうと思っています」
ボードに足が固定されるスノーボードと違い、固定されていないスケートボードは「似ている部分はほんとわずか」と言い、「ゼロから100まで積み重ねないといけない」と語っていた。
21年、東京五輪のスケートボード(パーク)で、橋本聖子、関ナツエ、青戸慎司、大菅小百合に次ぐ日本選手5人目の夏冬五輪出場を果たしたが、新型コロナウイルスの感染拡大で東京五輪が1年延期されたため、1年半あるはずだった北京五輪までの準備期間が半年になってしまった。
しかし、そんな困難な状況も平野は自分を高める挑戦ととらえる。
金メダルを取った後の会見で「トリプルコーク1440の練習はいつから?」と問われて、「(東京五輪後の)半年前からスタートさせた。1日30~40本、多い日は50~60本、ひたすらやっていた。アメリカで猛特訓して完成させた」と答えた。
五輪の男子ハーフパイプで3度優勝してきた35歳のホワイトが北京五輪を最後に現役を引退する。競技を終え、金メダルの平野に歩み寄り、ハグをした。競技の魅力を世界にアピールする第一人者のバトンが、引き継がれたように見えた。
4年後のミラノ五輪など今後について聞かれると、平野はこう話した。
「これからも自分だけのチャレンジを追っていければと思っているし、どういう道のりになっていくかは、また自分自身と向き合って考えたい」
(本誌・工藤早春)
※週刊朝日 2022年2月25日号