北京五輪のスノーボードで日本勢初の金メダルを獲得した平野歩夢(TOKIOインカラミ)。「異次元」の滑りで男子ハーフパイプに新しい時代を切り開いた。
* * *
U字形の雪の壁を滑り上がり、冬の青空に吸い込まれるように飛び上がった体が、目にもとまらぬ速さで回転する。
2位で迎えた最終3回目の滑走も次々に高難度のエア(空中技)を繰り出す。体の軸を斜めに3回転し、横にも4回転する「トリプルコーク1440」は公式大会で平野だけしか成功していない大技。それを五輪の大舞台で完璧(かんぺき)に決めた。
3回目のスコアは全競技でダントツの96.00。優勝が決まると、右手に持ったスノーボードを掲げて笑顔を見せた。派手なガッツポーズはない。2回目の得点が伸びず「怒り」があったという。そんな感情を手なずけて技の力に変える心の強さが際立っていた。
「実感はあんまりないんですけど、ようやく小さいころの夢がひとつかなった。やってきたことがすべて出し切れて。兄弟で一緒に出場できて、そこで勝てたのもお互いによかったし、自分の納得した滑りっていうのが少しでもみんなに届いたんじゃないかと。何か刺激になってもらえれば、もうそれ以上はない」
決勝を終えた後、落ち着いた口調でテレビのインタビューに答えた。
平野をよく知るプロスノーボーダーの中井孝治さんは朝日新聞のコラムで、「他の選手は『相手の点数に勝ちたい』という闘争心があった一方、歩夢選手だけは、相手ではなく自分自身と競い合っているように見えた。一人だけ、次元が違ったと感じる」と書いた。
23歳の平野はまっさらな新雪に分け入るように、歴史を築いてきた。
スノーボード競技が採用された長野五輪が開かれた1998年、新潟県村上市生まれ。3歳上の兄の英樹さんの影響で4歳からスノーボードとスケートボードを始める。父・英功さんが村上市内の老朽化していた体育館を改修して造ったスケートパーク(練習場)で練習を重ねた。15歳の2014年、ソチ五輪に出場。ハーフパイプで銀メダルを取り、日本の冬季五輪史上最年少で表彰台に上った。