創刊100周年を記念して、「週刊朝日と私とその時代」をテーマに祝辞、思い出、反省、苦言、提言の数々をいただいた。今回は漫画家の西原理恵子さん。◆「恨ミシュラン」(1992年9月~94年11月)
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「恨ミシュラン」を連載していた当時のことを、大人になった今でもよく思い出します。「苦労していたなぁ」って。いや、私じゃなくて編集部の人たちがですよ(笑)。エロ漫画あがりの私みたいな漫画家が言うことが、インテリぞろいの週刊朝日の編集者の人に通じなくて、会話が成り立っていたのかなって。
皆さんすごく勉強ができる人ばかりで、時代考証とかも完ぺきにしてくれた。料理の説明を受けるときに分子や原子の話をされてもわからない私に、取材しながら何でも教えてくれました。まるで有名予備校講師ができの悪い底辺の子に、わかるまで教えてくれるみたいに。
ただその一方で、私のギャグが編集者に通じないんです。せっかく考えたギャグに赤が入って戻ってきたことがありました。校閲の方が正しい日本語じゃないと言って戻すのではなく、校閲前に編集者がわからないというんです。平仮名で書いたネームを「平仮名じゃダメです」と戻されたこともありました。
それでもそんな私やコータリン(神足裕司)のことを全力で守ってくれた。好き勝手に書かせてもらっていたので、抗議もあったと思います。それにお酒が入ると、私もコータリンもどうしようもない人になってしまう。特にコータリンね(笑)。それなのに、まるで引率の先生みたいに大事に扱っていただきました。今思うと、本当に迷惑をかけたんだろうなと。私も人の親となってやっとわかりましたね(笑)。
連載中はおいしいものをたくさん食べました。でもビックリするほど値段が高いからおいしいはずだと思ったのに、そうじゃない料理もたくさんありました。「きっとまだバブル時代の名残で値段に土地代が乗ってるだけだろう」とか話したこともありました。ちょっと恥ずかしい青春時代のことのような感覚です。