早大から大学生・社会人ドラフト4巡目指名で巨人入りも、2年間1軍出場なし。背番号も35から62に変更されたが、3年目の08年に大ブレイク。中継ぎとしてチーム最多の68試合に登板し、山口とコンビでリーグ優勝に貢献した。

 翌09年も、スポーツ報知が募集し、1290通の中から選ばれた山口とのコンビ名“風神雷神”にちなみ、“雷電フォーク”を武器に66試合に登板。8月1日の阪神戦では、8回にグライシンガーをリリーフした山口が1死も取れず、死球と安打で2点差に詰め寄られた直後、1死一、二塁のピンチにリリーフ。越智は代打・高橋光信をたった1球で遊ゴロ併殺に打ち取り、リードを守り切った。試合後の「開き直って投げた。ぐっさん(山口)と僕は2人で一つ」のコメントも印象的だった。

 10年も59試合に登板したが、12年に難病の黄色靭帯骨化症であることが判明。6月に手術を受け、「支えてくれた家族や、同じ病気で苦しんでいる人のためにも、1軍のマウンドに立ちたい」とリハビリに励んだが、復活をはたせず、14年限りで現役を引退した。

 今回紹介した男たちは、名リリーバーとしてチームを支えたのは2、3年程度と短かったが、“記録より記憶に残る投手”として、今もファンの胸に刻まれている。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。

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久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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