バンクーバー五輪に出場したプロフィギュアスケーターの小塚崇彦氏も次のように語る。
「羽生選手には4回転アクセルを決めたうえで3連覇するという思いもあったでしょうが、五輪という特別な場所の力を借りるという意味もあったのだと思います。『降りたかな』と思ったぐらい、今までで一番回っていた。あとほんのちょっと、0.03秒くらい滞空時間があれば成功していたはずです。悔しいところはあるでしょうが、それ以上に4回転アクセルを初めて公式記録に残した功績は大きい」
長年、羽生を取材するスポーツライターの折山淑美氏はこう評した。
「前日の公式練習で右足を痛めギリギリの状態でしたが、やると決めたら絶対やるという意志の強さを見せた。挑戦を貫く姿勢が彼の真骨頂であり、見る者に感動を与えてきたのだと思います」
羽生が4回転アクセルを初めて公の場で試みたのは2019年12月、イタリア・トリノでのグランプリ(GP)ファイナルの公式練習。その頃は転倒を繰り返し着氷できていなかったが、今季初戦となるはずだったNHK杯(21年11月)前にようやく着氷できるようになったという。だがその直後、平昌五輪前にも痛めた右足首を負傷。追い打ちをかけるように食道炎や発熱も重なり、約1カ月間は練習できなかった。
「その時点でやめちゃおうかなと思った」と言うが、踏みとどまった。新型コロナウイルスの影響で、昨季からは、拠点にしていたカナダに戻れず、地元・宮城に一人残っての調整を余儀なくされるという逆境も重なったが、「毎回頭を打って脳しんとうで倒れて死んじゃうんじゃないか」と思うほど自分を追い詰めた練習を続け、五輪の舞台に持てるすべてをぶつけた。前出の佐野氏が語る。
◆4回転半挑戦は勝つための選択
「今回、五輪に出ると初めて公の場で発言したのは昨年12月の全日本選手権の時で、それまで言っていなかった。あの時の4回転アクセルは両足での着氷で回転不足もとられましたが、かなり良いところまで来ていて、五輪の本番でアドレナリンも出れば跳べるかもしれないという状況になっていたのだと思います。今回も非常に惜しいところで転倒になりましたが、紙一重の差で成功するレベルまで到達していたということでしょう」