命の危険を感じながらも、金銭的な理由で簡単に避難できない住民もいるという/2月24日(撮影・Kaoru Ng)

「ロシアが好きというよりは、もはやロシアと共に生きるしかないという気持ち。ウクライナ西部ではもう暮らせないことがわかったし、仮にここからロシア軍がいなくなったとしても同じことです。支配者が欧米諸国に取って代わるだけなのだから」(夫)

 ドネツク出身で、現在は国際結婚をして国外在住の女性(28)もため息交じりに言う。

「わたしの世代は、内戦後にドネツクを離れた人が多くいます。キエフなどの西部に移った人はほぼ全員が反ロシア派になり、ドネツクに残る親ロシア派の親や祖父母世代と対立している。わたし自身は国外に出たこともあって、どちらにつくとは言い難い。友人が仲間や家族同士で争っている様子を見るのがとにかくつらいです」

2月24日のキエフ市内(撮影・Kaoru Ng)

スーパーにパンがない

 一方、ドネツクから西に離れた首都キエフに18日に入ったというカメラマンは、そのときはまだ日常が広がっていたという。だが、ロシアの攻撃が始まった24日早朝から、キエフ郊外では、窓の外から5分ごとに爆音が聞こえるという。空港周辺では、攻撃を恐れ西に向かって逃げる人たちが列をなしているという話も知り合いから聞いた。

「24日にキエフに侵攻があってからは誰もが不安になっています。スーパーからパンがなくなり、ガソリンもなくなり、ATMや両替所では長い列がみられます。大学の授業も止まっています」

 と話すのは、キエフに住む大学生のソフィアさん(22)。

 23日まではおおむね普段通りだったという。

「西部の都市リヴィウへ一時避難をした友人もいますが、キエフに住む人のなかでは珍しく、まだ通常通りの生活をしている人が多かったのですが……」

今後のインフレが心配

 リヴィウは北大西洋条約機構(NATO)加盟国でもあるポーランド国境まで約70キロと近く、ウクライナのなかでは比較的安全と考えられている。日本大使館やアメリカ大使館も拠点を移した場所だ。キエフからは高速鉄道で5時間ほどの距離にある。

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