鮎川さん、夢から覚めて、命拾いすることがありますよね。最近僕がよく見る夢は外国旅行からいよいよ今日帰国という日にパスポートが見つからなかったり、グループの人とはぐれて、何時の飛行機に乗るのかわからなくなったパニック夢が大半です。ところが究極の所で目が覚めて、「あゝ、助かった!」と思う瞬間に「救われた!」と思いますよね。こんな夢はまるで、煉獄地獄ですが、最後の最後にダンテの「神曲」じゃないけれど天国のベアトリチェによって救済されるこの瞬間こそ天国意識の実感です。夢の中では煉獄地獄だけれど目覚めの瞬間、つまり現実に本当に魂が救われるのです。この瞬間の高揚した気分は他では味わえません。
ですから悪夢から覚めた時の現実で味わえる歓喜に似た瞬間のことを思えば、夢はなるべく悪夢の方がいいですね。悪夢はあくまで虚構、だけれど、現実では魂の救済が待っています。よく怖い夢を見るという人がいますが、この人は覚めると同時に実は救われているんです。その救済を問題にしないで夢の悪夢の部分ばかりを問題にするのは夢の見方を間違った人のやることです。
怖いとか、恐ろしいとかいったって、全てフィクションじゃないですか。そんな虚構に恐れずに現実の夢の救済を歓ぶべきです。人は現実に生きているのです。だから目覚めた瞬間をもっと評価するべきです。ここにこそ生きている実感が証明される瞬間です。
だから何度もいいますが、できるだけ悪夢を見るべきです。夢の中で殺されるようなことがあれば最高に歓ぶべきです。そのまま何年も覚めない夢なんてないのです。必ず覚めます。夢の中でいくら美人と出会ったり美味いものを食べても目が覚めれば、その実感は瞬時に消滅します。こんな夢を見て、魂が救われたなんて誰も思いません。魂の救済を実感したければ悪夢に限ります。
悪夢から覚めて「救われた!」という実感は夢ではなく現実です。生きているわれわれは現実を実感するべきです。皆様、どんどん悪夢を見て、現実で魂の救済を実感してください。これは業からの脱却であると同時に魂の救済、つまり悟りへの近道です。
横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰
※週刊朝日 2022年3月4日号