夕食を食べ終わると、それを見計らったように、空港から乗ってきたバンの運転手が現れ、「ひとり7000円払えば今から内緒でモスクワ観光に連れて行ってやる」と言ってきました。当時トランジットの宿泊にはビザが発行されなかったため、空港と宿泊場所以外は基本的に行くことはできません。しかし、私と友人は迷いながらも7000円を渡し、再びバンに揺られること20分。クレムリン宮殿近くのモスクワ川沿いで「10分だけ」と車を降ろされました。辺りを見ると、同じように「モスクワ経由」に乗ってきたと思われる日本人らしき人たちが何組かいました。7月だというのに肌寒くて、巨大な建物の影がぼんやり映る川面が素晴らしく幻想的だったのを憶えています。
ロシアの女子フィギュアスケート・ワリエワ選手のドーピング問題。そもそもROC(ロシア・オリンピック委員会)なんて特別措置にも大きな疑問を持っていたこともあり、なんだか沸々と解せない気持ちで先日の女子フリーの演技を観ながら、ふと「かつて誘惑に負けて見たモスクワの夜景」を思い出しました。あれから30年近くが経ちましたが、相変わらず不気味で不透明で危なっかしい国という印象は変わりません。
いつか改めて訪れてみたい場所です。今度は私もちゃんとルールを守ります。
ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場~語り亭~」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する
※週刊朝日 2022年3月4日号