ミッツ・マングローブ
ミッツ・マングローブ
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 ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「モスクワ経由」について。

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 80年代後半、ヨーロッパへ渡航するには、北極圏を通りアラスカのアンカレッジを経由する「北回り航路」が主流で、私もそのルートでイギリスへ渡った口です。本来であれば、旧ソ連上空を突っ切るのが最短ルートなわけですが、ソ連領空の飛行には非常に厳しい規制があり、間違って領空侵犯しようものなら撃墜も辞さなかった時代。しかし「モスクワ経由」で行くヨーロッパ便は、少ないながらも存在していました。

 私はずっと「モスクワ経由」に興味津々でした。冷戦時の共産主義国には、恐怖と危険な匂いがする一方で、特に資本主義社会で生まれ育った私のような人間を惹きつける得も言われぬ怪しさがありました。

 ようやく「モスクワ経由」を体験できたのは、ソ連崩壊後の1994年のこと。成田発─モスクワ経由─ロンドン行きのアエロフロート(ソ連時代から続く旧国営航空会社)でした。当時のアエロフロートは格安学生旅行の強い味方で、まだ「ソ連の名残」が随所に色濃く残った機材は古く狭く、換気機能も不十分で、喫煙席のあった後部座席周辺は常にトイレの臭いが漂っていました。機内サービスをするスチュワーデスの袖口からは立派な腋毛が確認でき、着陸時に客席から拍手喝采が起きるのも「アエロフロート名物」でした。

 一度だけ、「経由地モスクワで1泊」という便を使ったことがあります。空港を出ると薄汚れたバンが待っており、それに乗ってモスクワ郊外の森の中にある民宿に連れて行かれました。民宿を経営する老夫婦は、私たちが到着するや否や、手際良く夕食を出してくれたものの、英語がまったく通じず、こちらがカタコトのロシア語で「スパシーバ!」と言っても、ほとんど目も合わせてくれようとしなかったのが印象的でした。

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