* * *
昨年のマスターズ・トーナメントで松山英樹選手が日本人初優勝を果たし、表彰式で「グリーンジャケット」が贈られた歴史的瞬間。そこには宮本さんの姿があった。
「マスターズで勝つ、というのは、とてつもない偉業なんですけれど、松山君って、シャイな男で、どう喜びを表現していいのか、分からない感じだった。硬い表情のまま表彰式に出て行って、これはマズいな、と。それでグリーンジャケットを着せてもらったとき、『ヒデキ、こうだよ! こう!』と、ぼくがガッツポーズを見せたら、気がついてくれて、あのガッツポーズが実現した。そこでようやく笑顔が出た」
そのやりとりが開催地、オーガスタ・ナショナルGC(米ジョージア州)の公式YouTubeに残されているという。
「周囲のフォトグラファーからも『タクのおかげでいい写真が撮れた!』って、感謝されました」
これまでマスターズの取材は34回。写真家としては世界最多で、表彰式の際「タク、ここは君の場所だ」と、他の取材者から最前列を譲られた。まさにレジェンドといえる存在。
しかし、若いころは「野球のカメラマンに、『ゴルフなんて、仕事になるの?』って、よく言われた」と振り返る。
「まあ、『好きなことを続けていれば、なんとかなるさ』と、やってきた。目標としてきたのは、クレジットを見なくても『これは宮本が撮ったんじゃないの』って、外国人にも気づいてもらえる写真を撮ること。そんな個性あるゴルフ写真をずっと目指してきた」
そのきっかけは、スポーツ雑誌「Number」(文藝春秋)だという。
「1980年の創刊号に特集されたニール・ライファーの写真がすごかったんですよ。それまで日本のスポーツ写真は試合の結果が分かるような記録写真ばかりで、スポーツをアートとしてとらえたライファーの写真はとても新鮮だった」
青春時代、音楽に没頭していた宮本さんは神奈川大学卒業後、来日ミュージシャンらを撮影してギャラを稼いだ。ライファーの写真に出合ったのはそのころだった。
■一見さんお断りの「スノッブ」な世界
83年、「アサヒゴルフ」(広済堂出版)の「カメラマン募集」が目に留まり、応募すると採用に。
しかし、最初はコースの歩き方も分からず、ラフに打ち込まれた中嶋常幸選手のボールを蹴飛ばしてしまい、縮み上がった。
翌年、出版社の体制が変わったのを期にフリーの写真家となり、87年に初渡米。
当初は現地でトーナメントを追いかけていたが、しばらくすると、世界中のゴルフコースを撮影したいと思うようになった。
アメリカのゴルフ雑誌で特集されていた「コースランキングベスト100」を目にすると、「歴史的なコースがたくさんあって、すごくバラエティーに富んでいる。表情が全部違う」と、興味が湧いた。
「自分のウイークポイントは、飽き性だな、と思っていて、ゴルフの写真をなりわいに楽しくやっていくには何かいい方法はないかなって、考えたんです。それで、試合だけじゃなくて、名門コースを巡って世界中を旅したら楽しいんじゃないか、と思った」