別カットは、前掲写真の画面右側に所在する権現前停留所の乗車風景。ガードレールもコンクリート柱も眼中に入らないひなびた光景は、1950年代にタイムスリップしたような懐かしさを覚えた。この新和歌浦支線は全線が専用軌道で敷設され、車に邪魔されず撮影が楽しめる、ファンにとっては得難い路線だった。
停留所左側の未舗装道路が現在の海岸通りで、背景は和歌山市立和歌浦小学校の校舎だ。停留所名が「権現前」ということは、東照権現様=徳川家康公を祀る宮社の最寄り停留所なのだ。和歌浦小学校校舎の裏手方向に「紀州東照宮」が所在する。さすが徳川御三家の城下町だと感心した。
天然のセンターリザベーション
雰囲気の良い権現前の撮影地から後ろ髪を引かれるような思いで市駅方面に向った。和歌浦口からは中央通り(国道42号線)に敷設された海南線の軌道に合流する。近辺の軌道はセンターリザベーション方式で敷設されており、東京に例えると昭和通りのセンターリザベーション区間を連想してしまう。和歌山のセンターリザベーション区間は軌道敷の敷石を省いただけで、車道との間に路側帯やガードレールなどの緩衝物が一切ない、いわば天然のリザベーションだったのには驚かされた。
一直線に伸びたセンターリザベーション区間の高松停留所に降り立ち、ちょうどやって来た車庫前行きの2000型連接車を撮影したのが次のカットだ。
謎のヘルマン台車と対面
高松停留所から車庫前停留所までは至近の距離だった。構図の右側に入庫線を入れて、東和歌山(1968年3月から和歌山駅前に改称)行きの300型を撮影する。この300型は1937年大阪鉄工所製の低床式小型ボギー車で、前灯がケロヨンタイプでないのが嬉しかった。「車両部 高松検車区」と大きな縦書き表札のある事務所で見学許可をいただき、お世辞にも広いとは言えない車庫にお邪魔した。撮影目標は予備役になってしまった60型と100型の四輪単車だ。写真の62号は60型の唯一の生き残りで、訪問時は事故応急車として営業線からは退役していた。開業当初の1型木造単車を1948年に富士車輛で鋼体化改造したもの。ブレーキは手用、警笛はフートゴングで、全長8.84m、定員50名(座席定員12名)の高床式四輪単車。「ヘルマン」という謎のメーカの単台車を装備していた。