車庫前停留所に到着した東和歌山行きの電車。写真の300型は戦前生れの低床式ボギー車で、住友金属のKS-45-L台車を履いていた。(撮影/諸河久)
車庫前停留所に到着した東和歌山行きの電車。写真の300型は戦前生れの低床式ボギー車で、住友金属のKS-45-L台車を履いていた。(撮影/諸河久)

 次がヘルマン製単台車の部分写真で、ポピュラーなブリル21E型に比べると、軸箱守が鋳鋼製なのとエンドスプリングに完全楕円形状のリーフバネとコイルバネを併用する構造が相違点だった。

 撮影から57年経って、この台車の素性を知ろうと「鉄道ピクトリアル誌」76号(1958年・電気車研究会刊)に掲載された台車研究家・吉雄永春氏執筆の「台車のすべて(2)」を同社のご厚意で閲覧させていただいた。その解説によると「ヘルマン」の単台車を装備した車両は戦前に行方不明になっており、会社資料に記載された台車形式「ヘルマン」は誤りで、正しくは米国ペックハム製「ペックハム8B型」と断定されていた。

検修庫内で待機中の62号を庫外に出していただいた。戦後の鋼体化車体だったが、ヘルマンと呼ばれる稀有な単台車を装備していた。高松検車区(撮影/諸河久)
検修庫内で待機中の62号を庫外に出していただいた。戦後の鋼体化車体だったが、ヘルマンと呼ばれる稀有な単台車を装備していた。高松検車区(撮影/諸河久)

 ペックハムは明治期の東京市街鉄道などが米国から大量に輸入した単台車で、本連載でも九段坂を走る電車の絵葉書を掲載している。(次回3月19日配信に続く)

エンドスプリングのリーフバネと軸箱守に特徴が伺える謎のヘルマン台車。車輪直径は762mm。57年後にペックハム8B型台車だった事実が判明する。高松検車区(撮影/諸河久)
エンドスプリングのリーフバネと軸箱守に特徴が伺える謎のヘルマン台車。車輪直径は762mm。57年後にペックハム8B型台車だった事実が判明する。高松検車区(撮影/諸河久)

■撮影:1965年3月22日

AERAオンライン限定記事

暮らしとモノ班 for promotion
大谷翔平選手の好感度の高さに企業もメロメロ!どんな企業と契約している?