穏やかだったヤタローの生活の後半は、そこから一変、慌ただしくなりました。
その日は、病院に行っていました。ヤタローが不調になる前年の2019年に、私は(自宅で転び)右足首を骨折して50日入院したのですが、その骨折部の抜釘手術がコロナで延びていました。1年経って病院に相談に行き、10月半ばの手術を決めて帰宅したら、ヤタローの様子がおかしかったのです。
「どうしたの?」と抱きかかえて床に下ろしたら、くたんと崩れるように倒れ、起き上がることができません。ソファもおしっこで濡れていました。
慌てて獣医さんに連絡すると、もともと悪かった関節の影響でヘルニアになった可能性もあるといわれ、病院に連れていきました。でもヘルニアではなく、リンパの腫瘍か脳の異変かもしれないということで、血液検査をしましたが、リンパの腫瘍は見つからず……。
「これは、脳腫瘍かもしれない」と告げられました。
細かく検査をするか、悩みました。すでにシニア期だったし、手術しても治るとは限らなかったので、「入院や手術はヤタローの負担を増やすだけかも」と思ったのです。検査ばかりして過ごすより、皆で見守るほうが、ヤタローも幸せなのではないかな、と……。
それで家族とも話しあって、残された日々を自宅でしっかり見てあげることにしました。
ヤタローは、少しずつ体の麻痺が出ました。最初は後ろの左足、それから左の前足。進行を遅らせるお薬を出してもらっていたので、初めのうちは仲間と同じ時間にご飯を食べ、ゆっくり歩いてもいましたが、私が手術を決めた10月に入って、麻痺が拡がり、顔の左側が引っ張られる感じに変わっていきました。ペットシーツを敷いていてもそこでは排泄をしないので、抱いてトイレまで連れていくケアが必要になりました。
つらかったのは、ヤタローの麻痺が進行して介護が必要な中で、私の抜釘手術を行わないといけなかったこと。自分の足の状態から日を延ばせず、やむを得ない入院でした……。自分の入院中に息を引き取るかもしれないので「もう会えないかもしれないけど」とヤタローにお別れをいい、息子に後の世話を頼みました。
◆ 静かに息を引き取った「コロナのばかやろう」
ところが、最後の最後で思いもよらない展開が待っていました。
私の入院中、息子の通う高校(クラス)でコロナのクラスターが起きて、息子が陽性に。すぐに札幌のホテルに隔離されてしまいました。